気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2015年12月17日木曜日
霊峰富士山を参拝する
日本一のお山、霊峰富士山である。
日本に限らず、昨今は「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」てなことで世界文化遺産に登録され、Mount fujiつーことで世界中でたいていの人がご存知である。
まずは河口湖から北に御坂道を上がって河口浅間神社の当たりから富士山を眺めてみるわけである。
これがなかなか乙な景色で、富士山はこんな住宅地からでも風景となるのである。
これでは、富士山が見える地域に居を移す人の気持ちがわからんでもないのである。
まあ、さすがに、仕事もあるので、あたしゃそこまでする気もないが、ひとまず、拝み倒してご利益を頂くわけである。
ありがたいありがたい、なむなむ。
ああ、富士山は神様だからなむなむはちがうか。
さて、続いて河口湖畔から眺めてみるのである。
やはり、ここからが富士の眺望としては絶景である。
晴れていればさらに絶景であると思うが、12月初旬のこの日はあいにくの天気で、雨が降るという予報でいまにも崩れそうは雲行きである。
しかし、そこはそれ、天下に名だたる大霊能者晴れ男象師匠の威力で、なんとか持ちこたえて、天空に日の光もうっすらと輝き、まさに神の采配である。
まあ、古来より富士講てなことで、日本中から富士山を神のお山と崇める人々が集まり登り、富士山信仰の御神体そのものであるわけであるので、その雄大で麗美なお姿を拝見するだけでも、脳波はいやが上にもα波優位となり、βエンドルフィンを始めとした癒やしの脳内ホルモンも怒涛の放出となるわけである。
観るだけでヒーリング効果絶大である。
なんちゃってね。
なんなんだお前は。
ありがたいありがたい、なむなむ。
だから、神様だったら。
どうかね、こんなところで。
写真でポン
2015年11月1日日曜日
鬼怒川温泉郷の吊り橋浅見橋を渡る
栃木県日光市の鬼怒川温泉郷の鬼怒川の渓流にかかる吊り橋浅見橋を渡ってみるのである。
鬼怒川温泉郷観光の売りは鬼怒川温泉五橋であるつーことで、その中の唯一の吊り橋である浅見橋はそのひとつであるわけである。
これが渡りきって反対側からみた風景である。
まあ、山奥の吊り橋と違って、この吊り橋はしっかりとできているので、さして恐怖感というのは感じないのであるが、それなりに揺れて、吊り橋を渡る感覚をお楽しみになれるのである。
橋から鬼怒川下流の温泉郷を見た風景である。
ううむ、まあ、鬼怒川温泉郷の上流に当たるこのあたりは、ご覧のとおりの絶景の風景に恵まれているにもかかわらず、あちこちのホテルがお潰れになっていて、夜は窓に明かりも灯らず寂しい限りである。
観光の目玉が橋だけでは今ひとつ集客効果にかけるのかもしれないので、旅館組合の皆様方には何か新しい取り組みをご検討頂きたいと思うわけであるが、もちろん、大きなお世話であるはゆーまでもないことである。
橋から鬼怒川上流を見た風景であるが、やはり絶景である。
これで閑古鳥であるから、最近は絶景や温泉の効能だけでは集客力にならないということがわかるわけである。
最近の観光客の主力であるおねーちゃんやおばちゃんを集めるには、何か大々的なパワースポット的なものをでっち上げると宜しいかもしれないと申し添えてご挨拶とするのであるが、もちろんこれも大きなお世話であるのはゆーまでもないことである。
つーことで、鬼怒川温泉郷のパワースポットの藤原町護国神社と鬼怒川温泉神社の境内からの風景をおまけとするのである。
少しでも鬼怒川温泉活性化の効果があれば幸いであるのである。
お前は回し者かと言うぐらいの大きなお世話だらけであるのである。
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2015年10月4日日曜日
世界遺産富岡製糸場
富岡製糸場の正面入り口である。
富岡製糸場専用の駐車場はないので、象師匠におかれましては近所の私営駐車場に愛車を停めになられて、そこからてくてく歩いてこの正門入口にご到着遊ばしたのである。
ペットのご見学はお断りであるのであるので、愛犬家や愛猫家はあらかじめご了承の上ご見学の運びとなられることをご注意して、ううう、なんだその、どーでもいいのである。
なにしろ世界遺産であるので、この日は平日でもあるにも関わらず、富岡製糸場は大賑わいであるのである。
正門前の参道商店街は、観光客相手の土産物屋の売り込みがやいのやいのと喧しくて、世界遺産の品性台無しであるが、まあ、地方の町おこしということではこれ以上ないネタであるので、どこの自治体も世界遺産登録にやっきとなるのはさもありなんという光景である。
まあ、平日でもこの大賑わいであるから、これが日曜休日の大混雑は想像を絶するものがあると思われるが、もちろんあたしはそんな空恐ろしい目に会うのはゴメンであるので、あたし的物見遊山は平日限定が基本であるのである。
正面入口を入るとすぐこの券売所と言う名のチケット売り場があるので、大霊能者の誉れ高いあたしも一般庶民に混じってお並びになって見学券を買ったのである。
ご見学料は大人1000円である。
もちろんあたしはどうみても立派な大人であるので、1000円払ったら、パンフレットと見学券をいただけたのである。
それで、正面入口を入るとすぐ東置繭所があるのである。
東置繭所の場内は展示場になっていて、富岡製糸場の歴史やフランス式繰糸器の復元機などが展示してあるのである。
東置繭所を抜けると、西置繭所があるのであるが、西置繭所の前の立て札には西繭倉庫と書いてあるのである。
だから、東置繭所は東繭倉庫であるということである。
その倉庫の中がどーなっているのかは、東繭倉庫は展示場となっているし、西繭倉庫の内部は工事中で見ることができないので、まったく不明であるのであるが、両倉庫は国宝である。
それで、まあ、順路を歩い行くと、テレビ番組などで紹介される繰糸所があるのであるが、これも国宝である。
富岡製糸場のイメージといえば、この繰糸所の内部であるわけであるが、内部はほとんどビニールで覆われているので、テレビ番組で紹介されるような繰糸器が延々並んでいる光景はご覧になれないのである。
まあ、富岡製糸場はいわば国策によって作られたものであるので、片倉先生がご診察あそばす片倉診療所があるのである。
つまり、野麦峠のような悲惨な女工さんの生活ということではなく、日本における繰糸器の指導者を育てることが目的であるので、それなりに健康も管理されていたわけである。
これはフランス人指導者のポール・ブリュナさんご家族の宿舎であるが、その作りや大きさから当時の明治維新直後まもない政府のこの殖産事業にかける意気込みがうかがえるのであるが、まあ、当たり前といえば当たり前である。
ブリュナさんの住居の裏側であるが、裏側から見てもご立派であるのである。
だからなんだと言われても、まあ、その、べつになんでもないのである。
当時の工女さんたちの寄宿舎の浅間寮と妙技寮である。
まあ、官舎というのか寮というのか、各地から集った工女のみなさんは、とにかくここで生活して、製糸技術を習得して、地元に帰って指導者となったわけである。
それで、見学したら腹減ったので、参道商店街のおぎのやさんで峠の釜めし膳1200円を食ったのである。
これが入り口であるが、祝世界文化遺産登録の看板はいらんだろと思うのはあたしだけかね。
商店街全体がこのちょーしであるので、商店街の方向性としては明治の面影を街づくりのテーマとすることが、観光地としてさらなる発展を呼びこむ基となるということをご進言申し上げてあたしのご挨拶といたしたいところであるが、もちろんいつものことで大きなお世話であるのである。
おぎのやさんの出口である。
入り口よりもこちらの方がなかなか宜しい雰囲気であるので、観光客の皆さんはこちらからどんどん入ろうとするので、ガラス戸に出口と大書してあるのである。
あたしもこの出口から入ろうとして、入り口でお休みになっていた富岡製糸場の案内人のおじさんに「入口はあっちだよ」とご注意されたのである。
入り口みたいな出口でも大変美味しゅうございましたのである。
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2015年9月30日水曜日
旧軽井沢銀座
いわゆる旧軽銀座を歩いてみたわけである。
軽井沢といえば、テレビ番組で紹介されるのはこの辺であるが、この日は平日であるので、旧軽瓶座通りは車の通行もあって、観光客もトラックも乗用車も入り乱れて大混雑である。
軽井沢に来たのは、記憶も定かで無いぐらい大昔であるので、覚えているのは観光協会の建物と茜屋珈琲店ぐらいのもので、通りの入口辺りにあったスーパーの紀伊国屋も無くなっていて、なんだか鎌倉の小町通りを歩いてるような雰囲気である。
そう思うのはあたしだけかと思ってたら、観光客とみられるおばさまの一団の一人も同じことをおっしゃっておられたので、なんだかしらんが、軽井沢の雰囲気とはかけ離れた方向に向かっているとしか思えないということを申し上げたいが、もちろんいつもの大きなお世話である。
それで、歩いたらコーヒーを飲みたくなったのでミカドコーヒーでクルミのタルトと旧軽ブレンドを飲んだのである。
それで、ほったらかしだったふぇいずぶっくに写真をアップしてみたのであるが、たいして面白く無いので、こちらにもアップするのである。
ミカドコーヒーは軽井沢モカソフトてなソフトクリームが大人気で、店頭は大賑わいである。
しかし、こーみえても男を売り物にしてるあたしがソフトクリームてな軟弱なものをペロペロしてたら沽券にも股間にも関わるので、スルーして店内に入り階段をトントントンと上って、二階の喫茶室に行ったらほぼ満席の大盛況である。
それで、男象師匠として懇親のクルミのタルトてなケーキと旧軽井沢ブレンドてなコーヒーのセットを頼んで、コーヒーを飲んだら、このコーヒーがこよなく酸っぱいのである。
砂糖をこれでもかと入れても酸っぱいのである。
なんでもいいが、酸っぱいのである。
旧軽ブレンドのブレンドの具合が酸っぱいのか淹れ方が酸っぱいのか不明であるが、あたしが飲んだコーヒーの中で最酸っぱであるのである。
どうやったらこんなに酸っぱくなるのかお尋ねしたいところであるが、そこはそれ常識を以って鳴る象師匠であるので、男は黙ってぐぐいと飲み干したのである。
それで、酸っぱくて腹減ったので、旧軽銀座入り口の創業明治12年長野やぶの軽井沢店で天ざるそばを食ったら2200円であるのである。
さすがは軽井沢値段である。
酸っぱいコーヒーでも軽井沢値段の蕎麦でも大変おいしゅうございましたのである。
何が言いたいんだか。
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2015年9月3日木曜日
諏訪湖の花火サマーナイトファイヤーフェスティバル
そうだ花火!見に行こう諏訪湖サマーナイトファイヤーフェスティバルつーよーな花火大会を7月26日から8月31日までの期間、7月15日を除いて毎晩開催してるというので、8月31日の朝に思い立っていきなり行ったのである。
なにしろサマーナイトのファイヤーフェスティバルであるので、夏といえばやっぱり8月31日までだろうから、9月になったらオータムナイトファイヤーフェスティバルになってしまうので、この日がサマーナイトファイヤーフェスティバルとしては本年最後のチャンスであるわけである。
それで、駐車場の都合で、少し離れたところからのロケとなったので、実にマヌケな映像である。
しかし、実際にはもっと近く見えるので、色も音も鮮やかで、こんなに貧相ではないのである。
花火の数は800発てなことであるので、けっこうな数で、15分ぐらいやってるのである。
真っ暗であるので、だーれもいないように思うが、周囲にはあたしみたいな観光客と思える皆さんが、ゆかたを着たりして、かなりの人数の見物人がいて、最初はおじさんなんかが「なんだこれ、子供の花火だ」とかいろいろ言ってるのであるが、だんだん大きな花火が上がるようになって、誰も帰ることなく最後までご覧になっておられたのである。
それで、この花火大会の最初から最後までのフルバージョンであるので、これを全部鑑賞するのは強い忍耐力を必要とするのであるが、この動画を最後まで見ることは象気功檀徒信徒の修行修祓の一環ということで肚を据えて御覧頂いて、宗家の行動がいかに気の修行に明け暮れているか学んで頂きたいわけである。
象気功の教義のひとつに「今がよければいいじゃないか」という重要なフレーズがあるのであるが、その場で思いついたら、前後の事情はさておいて、「今」の楽しみを再優先するということが随神(カンナガラ)の道である。
これを芸術家なんかはひらめきと称するわけであるが、あたしら霊能家業のものは神のお告げと渉するわけである。
神のお告げとはその場の思いつきということである。
ううう、こんなネタを誰が読みたいんだ。
お前が言うな。
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2015年6月29日月曜日
サイアム・パラゴン(バンコク)の水族館
タイ発象気功である。
バンコクBTSのサイアム駅に直結のサイアム・パラゴンにあるBangkok Sea life Ocean Warldてな水族館である。
この水族館はタイ人だと400バーツで外国人は1000バーツであるのである。
もちろんあたしはどーみても日本人丸出しであるので、1000バーツを払ってご入館なされたのである。
なにしろ現在はとんでもない円安であるので、だいたい4200円ぐらいであるのである。
その4200円分の映像を入り口直後から出口の土産物屋までをノーカットでライヴ中継するのである。
入り口のチケットゲートでは忙しくて撮影どころではないので、ゲートを入ってからの撮影である。
まあ、真っ暗であるので、なにがなんだかわからんわけであるが、とにもかくにも、根性でカメラを回すわけである。
この日が6月27日の土曜日であったことも含めて、なにしろ施設の目的が目的であるので、とにかく子供だらけである。
よちよち歩きの幼児から、中学生の団体まで、もう、館内は大騒ぎである。
これが意外や意外の面白さで、ピラルクやサメといった大型魚が悠然と泳ぐ姿に遭遇すると、ううむ、人生というものはどこでどーなるのか神様のおぼしめし次第であるなあと、しばし感慨にむせぶこともあるかもしれないのであるが、もちろん、あたしの心はそんなことでは微動だにしないぐらいナニであるのである。
意味がわからんのである。
まあ、とにもかくにも、皆様方には、バンコクにお越しの際の参考にしていただければこれ幸いであるということでご挨拶に代えさせていただきたいのである。
タイというと、日本のテレビ番組ではピラルクやコブラや象使いてなものが取り上げられて、住民は裸でジャングルの木の上で生活してるてなイメージがないでもないわけであるが、バンコク在住のタイ人の皆さんの生活は日本の新宿となんら変わらん生活であるので、ピラルクやコブラや象さんは水族館や動物園に行かなければ一生見ることもできないのである。
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2015年6月8日月曜日
蔵の中
「蔵を建てる」に続いて「蔵の中」である。
そんなタイトルの横溝センセー原作の映画もあったように思うが、この蔵にはもちろんそんな妖艶耽美な物語はあるわけもなくて、なにしろ蔵本来のお役目の物置であるので、我が家伝来のどーでもいいガラクタを詰め込むことに終始しているのである。
まあ、ガラクタの定番のいつのものかわからんぐらい古い布団が積んであるのが見えるわけであるが、こんなもの捨てりゃいいのにという、いわばゴミを今後も我が家の文化遺産として所蔵することになるわけである。
入って左側に幅三尺のはしご状の階段がついていて、中は二階建ての、今風にいうとロフトになっていて、けっこう広いのであるが、写真ではなかなかその雰囲気が伝わらないのである。
とにかくゴミであるので、古いものでも価値があるてなもんでもないので、全部捨ててしまって、必要んなものだけ買えばいくらでもないものを、そこはそれ、お金持ちとしての余裕を見せなければならないので、今時ナンセンスで必要のない蔵を建てて見栄を張り倒すわけである。
頭領渾身のみごとな細工であるので、集成材だの合板だのてな材料は一切使用せずに、床も柱も梁も羽目板も杉の総原木使用になっているのである。
ロフトには、またロフトがついていて、かなり物がしまえるようになっているので、どんどんゴミを溜めることができるわけである。
二階のロフトに上がるとこんな風であるが、ゴミもここまで来るとなかなか雰囲気が出てきて、さらに溜め込むことに楽しみを覚えて、しまいにはゴミ屋敷になるんではなかろうかとさすがに心配になるのである。
二階から見下ろすとこんな感じであるが、入り口に履き捨ててあるのは、最近あたしのご愛用のクロックスのクラシックである。
ペタペタと歩きにくいビーサンからクロックスに替えたら、これが驚くほど歩きやすいので、某あまぞんであれこれクロックスをご注文遊ばしたのである。
それで、ビーサンのコレクションは、さすがに我が家のゴミ遺産としてこの蔵に所蔵して子孫に伝えると不評を買うので、燃えるゴミとして袋に分別してゴミ収集車の客となったのである。
あたしの夏の定番ファッションであるアロハにクロックスとゆーのは、湘南ボーイいや湘南おじさんいや湘南じじいとしていかがなものかと思うが、まあ、時代に合わせてファッションも揺れ動くのは致し方のないことであるのである。
ううむ、蔵からクロックスまであたしの趣味をこれでもかとご紹介してるわけであるが、ほんまにくだらんと言えばくだらんのである。
あたしの人生自体がくだらんと言われれば、ごもっともであるとしか言いようもないのであるが、どんなにすばらしい人生を送ってもどーせしまいにはおっちんじまうのであるから、思いっきりくだらん自堕落な生活を心がけているのである。
そのくだらなさが極まって蔵を建ててみたわけであるが、物置なら100人のってもだいじょーぶのイナバでいいのに、なんてことを言われるとそこはかとなく涙が溢れてくるのである。
もちろん嘘泣きである。
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2015年6月5日金曜日
蔵を建てる
「今時、蔵なんか建てるバカがどこにいるんだ」という声は重々ご承知の上であるが、それでも、やらなければならないことが男にはあるのである。
それでは女にはないのかとゆーと、そこはそれ、むにゃむにゃと話を濁して先に進むのである。
さらには、こんなものを誰が読みたいんだという声も重々ご承知の上のネタである。
まあ、「蔵が建つ」という言い方がある通り、古今東西を問わず、金持ち成功者の象徴といえば蔵である。
あたしも超零細企業新興財閥とはいえ、世間様にお大臣お金持ちとして認知されるためには、ここはひとつ蔵を建てなければならないのである。
それで、まあ、とにもかくにも、上棟式である。
何事も神事を尊ぶ象師匠であるので、まあ、言って見れば物置である蔵といえども、幣串を立てて、四方祓いに塩と米を撒いてお神酒を注いで、神職であるあたしがなむなむと祝詞を奏上して工事の無事安全を祈願し、地鎮祭も滞り無く終えて、いよいよ工事開始である。
足場をさらに細かく組んで、羽目板を貼って、改めて見ると、意外や意外の大ごとである。
始めてしまって、もう、後悔しているのであるが、今更、止めるわけにはいかないのである。
下塗りが始まると、さらに大ごとである。
まあ、どーせ物置だからたいしたことはなかろうつーことで、出来上がり勘定というどんぶり勘定の見本みたいな口約束で始めたのであるが、これはいったいいくら掛かるんだという心配が頭の中をグールグルであるのである。
そんなあたしの心配をよそに左官屋さんが下塗りを終えて、どんどん工事は進行するのである。
それで、漆喰を塗り終えて、蔵はみごとに落成したのである。
これが、庭の植木とコラボして、中々の景観である。
少し離れて見ても、中々の雰囲気である。
先日、我が家先祖代々の恒例で参拝した、おなじみの御岳山の御岳神社お犬様の御札を綺麗に貼ったのである。
これで、火防、魔除け、盗難除けは万全であるのである。
脇から見ると、さらにお金持ちの雰囲気がひしひしと伝わるのであるが、別に誰も見に来るわけではないので、なんの意味があるんだと言われれば、ぐうの音もぴーの音もでないのである。
まったくの自己満足であるのである。
馬鹿が金を持つとろくなことに使わないという典型であるのである。
しかし、びんぼーにん御用達のぱちんこやけーりんけーばに使わないところが、やっぱりあたしらお金持ち細胞所有者の真骨頂であるわけである。
後ろは窓に格子が入って、実に本格的な蔵が出来上がって、あたしも大満足の今日このごろであるが、蔵の中に入れる物は、もちろんどーでもいいものである。
蔵というのは基本的に物置であるのである。
まあ、なにはともあれ、物置さえもこの出来栄えという、象形流気功法宗家象師匠としては、象気功メソッドの威力かくありなんと言わんばかりの面目躍如であるのであるが、こんなもの建てるよりも、なんか美味いもん食ったほうがいいじゃんなんてことを言うと泣いちゃうのである。
写真でポン
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