2012年6月25日月曜日

久能山東照宮の神々を撮る


久能山東照宮(くのうざんとうしょうぐう)は、静岡県静岡市駿河区に鎮座する神社である。 

なにしろ、あの徳川家康公が祭神であるのである。 

そらもう、なんつっても徳川300年の基を築いたエネルギーの持ち主であるので、お亡くなりになってもこの威力であるのである。 

あたしなんぞがお亡くなりになっても、うっかりしてるとゴミに出されるのである。 

そこがやっぱり偉人と凡人の人生の違いといってしまえば、はいそれまでよであるのである。 

そんなどーでもいいことは置いといて、家康さんは、大御所として駿府におられた当時、「久能城は駿府城の本丸と思うぞよ」と、久能山の重要性を説いたといわれるのであるのである。

元和2年4月17日(1616年6月1日)に家康さんは駿府(現在の静岡)でお亡くなりになり、死後、その遺骸は遺言遺命によって駿河国の久能山に葬られ、元和3年(1617年)には2代将軍・秀忠さんによって東照社(現・久能山東照宮)の社殿が造営されたのであるのである。

現在は東照宮といえば首都圏の小学生の修学旅行などでもお馴染みのいわゆる日光東照宮が有名であるが、秀忠さんは日光山麓にも東照社(現・日光東照宮)社殿を造営し、改葬したのである。

まあ、てなことで、1159段の石段をかけ上がって本殿拝殿に参拝すれば、これ、血行促進脚力増進で健康成就ご利益満点であるのである。

さらにそこかしこに鎮座する八百万(やほよろず)の神々に出会えば、あなたの体内波動はさらに高まり、あらえっさっさーとなること請け合いであるのである。

人間、元気なうちが華であるのである。

あんまり面白くねーかな。

まあ、なんでもいいやね。

Camera:RICOH GXR A28mm

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2012年6月6日水曜日

新東名高速道路駿河湾沼津下りSAでなんだこりゃ


新東名高速道路の駿河湾沼津下りサービスエリアを見学に行ったのである。

NEOPASA駿河湾沼津であるのである。

なにしろNEOPASAであるのである。

意味がわからんがNEOPASAであるのである。

テレビ番組で駿河湾沼津SAを再三に渡り面白そうにネタにしてたので、「ううむ、そんなに楽しいのなら、行ってみないことには死んでも死に切れない」つーことで、べつにお亡くなりになる予定は全然ないのであるが、まあ、とにかく寄ってみたわけである。

まあ、下り御殿場ジャンクションから新東名の最初のサービスエリアであることもあるとは思うが、平日の10時頃なのに、小型車用の駐車場は入口から満員で、並んだ乗用車の皆さんを駐車係のおじさんが大型車用の駐車場に誘導してたりして、大人気であるのである。

それでまあ、なんとか駐車場に車を停めて「さあ、なんかうまいもんを食うぞ」と張り切って車を降りたのであるが、どうもテレビ番組の様子とは違うのである。

えらいさっぱりとした作りで、とくに変わったこともないのである。

まあ、施設の内外をくまなくうろうろしてみたのであるが、できたばかりで設備もデザインも新しいのでそれなりに新鮮味はないでもないのであるが、ある意味場違いなぐらいに豪華なトイレ以外は基本的にごくふつーの高速道路のサービスエリアであるのである。

フードコートを見ても、番組でやってたうまそうな海鮮丼のたぐいはないのである。

「ううう、これは予想とはちがう、テレビではこんなんではなかった、ああ、グルメ食道楽食い倒れのあたしの胃袋はいったいどうしたらいいんだろうか」と大変悲嘆に暮れて日が暮れて、いや、まだ午前中だからまだ日暮れにはそうとう時間があるが、とにかくがっかりがっくりこっくりさんで悪霊呼んで窓から転落いてててつーぐらいお嘆き遊ばしたのである。

しかし、そこはそれ、才気煥発一を聞いて十を知る天才霊能者象師匠であるので、「ああ、もしかするとこれ、テレビでやってたのは下りではなく上りの駿河湾沼津サービスエリアだったんじゃなかろうか」つー結論に達して、フードコートの某うえしまこーしー店でこーしーを飲んでさっさと本線に戻ったのである。

人生というものは勘違いの連続でこよなくお楽しみが増えるわけであるのである。

ううむ、どうやっても面白くならんが、まあいいや。

Camera:RICOH GRDⅢ

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