2012年2月28日火曜日

武田神社境内散策



フジのもしツアを見ていたらば、この武田神社をネタにしたいたので、「おお、鳥居の前の道路も整備されていて、門前町もいろいろありそうで、なかなか雰囲気がいいではないか、ひとつ行って門前町でうまいもんをみつくろってこれでもかと食ってみようではありませんか」つーよーな食欲にかられて、中央フリーウエイに乗ってユーミンを聞きながら滑走路しようと思ったらべつにユーミンのファンでもないのでCDがあるわけでもないのでBGMなしでEXPASA談合坂というの名の下り談合坂SAで朝飯食ったりして、コーラを飲みながら運転して2時間ぐらいでたどり着いたのである。

ううむ、改行しないと読みにくかろうと思うのであるが、大文豪天才文士象師匠の筆は絢爛豪華反乱悶絶疲労骨折でいたたたてな具合に翩翻(へんぽん)と翻(ひるがえ)ってあなたの身も心も抉(えぐ)り出すわけである。

てきとーにキーボードを叩くとあとでルビを入れたりしないといけねーからめんどーくせーのであるが、まあ、サービス過剰やりすぎ書きすぎ出しすぎへろへろで、とにもかくにも武田神社に着いたら驚いた。

番組の中でものすごく広く見えた道路はそうでもなくて、賑やかに見えた門前町の様子は一軒の土産物屋だけで、まあ、テレビ画面つーものはいいところだけを映すのでまったくあてにならないてなことを、今さらながらよーく実感再確認したのである。

まあ、TV番組てなもんは、観光地を寂しく映してしまってはわやくちゃであるので、まあ、画面からいらないもんはハケてもらって、いいとこ撮りで番組はめでたくおできになるつーことがわかってても、あなたもあたしもそこはそれだまされてなんぼの人生であるから、だまされてあちこち行ったり来たりが楽しいわけである。

なにしろこの神社は名前の通り武田信玄公をお祀りしているのであるから、人生必勝諸願成就のご利益満点、たっはっはつーぐらいの神頼み運頼みで今後の先行きは晴れか曇りか大雪かなんて思ってたら、明日の天気は大雪だてなお告げで、一泊の予定を取りやめて即刻帰宅の仕儀とあいなったのであるのである。

ニ礼二拍手一礼して、ありがたいありがたい。

とにかく拝んどけば間違いないのである。

Camera : RICOH GXR A12 28mm
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2012年2月7日火曜日

小田原城



小田原城(おだわらじょう)は、神奈川県小田原市にある城である。

もちろん現在のものはRC構造によりその当時を再現したもので、場内は4階までその当時の武具や書状、生活用具、民具などの展示場であるのである。

小田原城は戦国時代から江戸時代にかけての平山城で、北条氏の本拠地として有名であるが、江戸時代には小田原藩の藩庁があったのであるのである。

城跡は国の史跡に指定されているのであるのである。

大森頼春により1417年(応永24年)に築城され、おもな城主は後北条氏、阿部氏、稲葉氏
大久保氏であるのである。

江戸時代を通して1633年(寛永10年)と1703年(元禄16年)の2度も大地震に遭い、なかでも、元禄の地震では天守や櫓などが倒壊するなどの甚大な被害を受け、天守が再建されたのは1706年(宝永3年)で、この再建天守は明治に解体されるまで存続したのであるのである。

まあ、つーことであるが、城てなものはとにかくだだっ広くて、駐車場から天守閣まで遠い遠い。

まあ、実際には本丸、二の丸の広場に城主関係者の住居があったわけだろうから、だだっ広いというのは語弊があると思うが、まあ、とにかく延々歩かないと天守閣に辿り着かないのである。

それで、天守閣にたどり着いていざ写真をと思ったらば、場内は撮影禁止であるのである。

まあ、当時の武具や装身具、書状、刀剣類など、どれも歴史的なものがたーくさんであるので、資料集やら写真集やらビデオにされてしまうだろうから、そら撮影禁止であるのである。

それで、天守閣のおみやげ屋もの周辺にも撮影禁止となっているので、しょーがないので、物見に出て相模湾と小田原市内を写真に撮ったのである。

まあ、さすがに海と山に挟まれて、実によくできた要塞であるのであるが、まあ、戦のない現在では絶景であるのである。

この絶景は元来は殿様や関係者しか見ることができなかったわけであるが、時代が変わるとあたしら庶民のお楽しみとなったわけである。

ありがたいありがたい。

てなことである。

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