2012年10月28日日曜日

すみだ水族館



すみだ水族館(すみだすいぞくかん)は、東京都墨田区押上の東京スカイツリータウン・ソラマチ5Fと6Fにある水族館であるのである。

開業は2012年5月22日であるのであるつーことである。

つーことで、スカイツリーの展望台チケットが整理券を配るてな大混雑で、並ぶのがきらいなあたしはすぐギブアップして、それでは他になんか見るもんはないかつーことで探したら、このすみだ水族館があったのである。

チケット売り場に行ったら、入場料は大人2000円と書いてあるので、ううむ、魚見るだけで2000円とはどうなんだろうかと思ったのであるが、どう考えても負けてくれそうもないのですみやかに2000円をお支払いしてご入場遊ばしたのである。

スカイツリーを見に来てなんで水族館なのかわからんが、まあ、これが動物園だと象さんやカバさんやキリンさんを飼うには無理があるので水族館なのかもしれないのである。

水族館であるので、お魚さんがたくさんいるのである。

サメさんもいるのであるが、クジラさんはいないのである。

ペンギンさんやオットセイさんもいるのであるが、トドさんはいないのである。

まあ、それで、臨場感つーことであちこち動画になってるので、周囲の声なんかも入ってなかなか香ばしい霊写であるのである。

あたしは基本的に魚は見るよりも食いたい派であるので、水槽をあれこれ見て回ってもギョギョっとすることもないので、入場者の後ろのほうから遠巻きに見て回ったので、どの魚がなんの名前なのかさっぱりわからなかったのである。

アジとサンマとサケとマグロとサバとカツオとハタハタとイワシとタイは水槽にいた様子がないのであるが、いたのかもしれないのである。

でも、ホッケの開きと甘エビと酢だことイカの塩辛とママカリとコハダの水槽はなかったのである。

おそらくどこの水族館も塩干物の水槽はないのであるが、そうはいっても世界は広いので、もしかしたら存在するかもしれないのである。

逆に言うとたとえばスーパーの塩干物売場を水族館と思う人も世界のどこかにいるかもしれないのである。

もし、あなたが塩干物売り場を見て水族館に思えたら、迷わずおつむのびょーいんに直行していただきたい。

ううむ、たいして面白くならんな。

Camera:LUMIX DMC-FH6

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2012年10月26日金曜日

東京スカイツリーとソラマチの霊気を撮る



東京スカイツリーである。

東京スカイツリー(とうきょうスカイツリー、Tokyo Skytree)は東京都墨田区押上にある電波塔であるのであるつーことである。

観光・商業施設やオフィスビルが併設されており、ツリーを含めた周辺施設は東京スカイツリータウンと呼ばれ、2012年に電波塔・観光施設として開業したのであるのであるてなことである。

高さは634mであるのである。

だれでも知ってるのである。

第一展望台は高さが350mで第二展望台は450mであるのである。

これもだれでも知ってるのである。

2011年11月17日に世界一高いタワーとしてギネス世界記録の認定を受けたのである。

さらにこれもだれでも知ってるのである。

人工の建造物としては残念がながらドバイのブルジュ・ハリーファの828mに次ぐ世界第2位であるのである。

新聞テレビ番組等でさんざんネタにされまくってるので、スカイツリーに関することはたいていだれでも知ってるので、解説しても意味が無いのでスパっとやめるのである。

なにしろスパであるのである。

スパといっても温泉療養施設ではないのである。

無駄口もスパっとやめるのである。

それで、まあ、開業してだいぶ経つので、そろそろスカイツリーも飽きられて空いてるだろうなんてことで、天下の大霊能者総師匠がわざわざ電車にご乗車遊ばして、東京メトロを乗り継いで押上くんだりまで来たのであるが、案に相違して老若男女が押しかけて大混雑であるのである。

それで、スカイツリーの周囲をぐるぐる回ってそのお姿をあれこれ霊写して、さて、まあ、とにもかくにも展望台からの景色はどんなもんかなとゆーことで、展望台のチケットを買おうと思ったら、これがもう、平日にもかかわらず整理券を配ってる始末であるのである。

「ううむ、世界の命運を占う稀代の天才霊能チャネラー神選祈祷預言者象師匠を一般民と一緒くたに並ばせて整理券を配ろうなんてのは実にけしからん、金輪際こんなもん見てやらん」

つーことで、並ぶのがだいっきらいなあたしは展望台見学は諦めて,、東京ソラマチてなお名前のショッピングセンターを見学することにしたのである。

なんでも東京をつければいいってもんでもないと思うが、まあ、ソラマチが他にあって、かぶるとまずいつーこなのかどーなのか、まあ、東京タワーのつながりで東京名所てなことで、地方の皆さんへのサービス的なネーミングかもしれんが、おおきなお世話であるのである。

それで、そのショッピングセンターを1階から4階までぐるぐる回ってみたのであるが、とくに買うものもないので、飯食って帰ったのである。

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2012年10月20日土曜日

水天宮参拝を霊写する



霊気神気を受ける動画に続いて写真スライドショー的水天宮参拝である。

参拝の途中で写真から動画になるてな、実に香ばしいエキセントリックな霊的編集であるのである。

東京都中央区蛎殻町にある安産パワースポット水天宮の戌(いぬ)の日のおめでたい神気を象源流写真術で霊写であるのである。

東京メトロ半蔵門線水天宮駅を降りて地下鉄の出口を出て水天宮に向かう歩道に何やらずらーっとスーツのおにーさんやらおねーさんが並んでいて、紙袋をいくつも渡されるのである。

なんの袋かと思ってみたら、中身はマタニティ出産用品の試供品やらパンフレットであるのである。

あたしは写真動画を撮りに来ただけで、出産のご予定はさらさらないので、お返ししたのである。

戌の日の祝いとは5ヶ月目に入った最初の戌の日に腹帯(岩田帯)を締めて母子の健康 を祈願する帯祝いてなことであるので、毎月1回から3回ぐらいあるので、全国の安産祈願の神社はこの騒ぎになるわけである。

水天宮でもこの日は境内にテントが張られ、住所氏名をカードに記入して、腹帯や護符を頂くのである。

お金は払うが頂くのであって買うのではないのである。

そこんところを勘違いすると祭神の機嫌をそこねて安産祈願はなんのこっちゃになるのである。

象師匠はものごとのけじめにはことのほか厳しいのである。

もちろん嘘である。

言ってることがなんだかよくわからないのであるが、どーでもいいのである。

まあ、昨今はこの腹帯を産婦人科で用意する場合が多いのであるが、普段は無信仰の若者もこの日ばかりは神頼みで神社に腹帯を頂きに来るわけである。

戌の日とは1月1日に十二支を割り振り、戌にあたる日のことである。

つまり、12日おきにやってくるわけである。

ネットには戌の日カレンダーてなものもあって、犬はお産が軽いのでそれにあやかるというてなことであるのであるが、犬にお産が軽かったかどうか誰かが聞いたわけではないので定かではないのである。

まあ、とにかく、くだんの事情で10月16日の戌の日にあたるこの日の水天宮は大入り満員で安産祈願の老若男女が押すな押すなで拝殿前は大混雑で5列に並んで参拝であるのである。

あたしも並んで周囲の皆さんの安産祈願寿ぎの祝詞を奏上したのであるのである。

そこはそれ、現世(うつしよ)の衆生民衆をあまねく救うために遣わされた神選霊能職人の象師匠であるから、その膨大強力なる念力を持って世界人類の安寧諸願成就を寿(ことほ)ぐわけである。

なにしろ念力であるのである。

念の力であるのである。

まあ、その詳細はWebでねつーことで象気功本編に譲るとして、

人類の生命活動の頂点である種の存続保存に関わる人生最大の行事である生命誕生を寿ぐ安産祈願の気の波動に囲まれて、そらもう極楽天国夢の国つーぐらい気持ちいいのである。

その気が少しでも伝わればあたしの御役目は大壽大願祈念成就でこの世もおの世も行ったり来たりであるのである。

ぜんぜん意味がわからん?

神のお告げに意味なんかないからね、うん。


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2012年9月13日木曜日

夏の伊豆の神々



まあ、秋風がそこかしこに吹き始めて雑草が黄色くなり始めて
ああ、今年の夏も終わってしまったのね
と物悲しくなる今日このごろであるのである。

今年も海水浴は伊豆ということで、今井浜海水浴場と大瀬海水浴場に
泳ぎに行ったわけである。

おそらく来年も伊豆に行くのである。

べつにあたしは伊豆マニアとゆーわけではないのであるが
東京から近くて、水がきれいな海水浴場というと
どうしても伊豆になるのである。

まあ、あたしは湘南育ちであるので、子供の頃は由比ヶ浜、腰越、江ノ島てな
海水浴場でうきわにつかまってぷかぷか浮いてたのである。

しかし、大人になってみると、排水による水の汚染が気になって
さすがに泳ぐ気がなくなって、すっかり行かなくなってしまったのである。

最近は下水、浄化槽の整備で江ノ島付近の水もきれいになったつーことであるが
それでも、どうも近所で泳ぐのは心が折れるのである。

それで、まあ、少し遠くに行けば人家がなくなって
水もきれいになるだろうといういことで
東名高速を使って3時間以内ぐらいの海水浴場を探すと
やっぱり伊豆になるのである。

まあ、伊豆に行く前にも、米神、真鶴付近にも泳げるところは多々あるのであるが
これ、一時期釣りに凝ってたときがあって、その辺一帯を釣り倒したので
海底が釣り針だらけのイメージがあるので泳ぐ気にならないのである。

まあ、お子様だった頃は岩場でモリで魚を突いたりするのが
大好きであったので、魚がいればどこでもよかったのであるが
いつのころからそれも飽きてしまって、泳ぐだけになってしまったのである。

そうなると、できるだけ水のきれいな海水浴場はどこだろうかと
探すようになって、伊豆になったわけである。

実際に日本の海のいいところはいわゆる潮の香りというのか
実際には魚やプランクトンの腐敗臭であると思うが
あの「海のにおい」であるのである。

これが、外国のリゾート地の海ではこの「海のにおい」がないのである。

ところが日本の海でも、水のきれいな場所に行くと
やっぱり「海のにおい」があまり感じられないのである。

あれはきっと幼い頃に江ノ島、鎌倉付近の汚れた「海のにおい」が
脳にインプットされてしまったせいかもしれないのであるが
とにかくあのにおいを嗅ぐと「ああ、海だ海だ」と思うのは
あたしだけではないと思うのであるが
どーたかわからないのである。

人間は脳に組み込まれた過去の記憶で現在を認知認識するわけである。

時間は一瞬も留まることなく過ぎゆき
あたしの記憶は一瞬の間に時の彼方に遠ざかるのである。

まあ、てなことで今年の夏も終わりであるのである。

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2012年9月9日日曜日

江川邸



本年度第二回象気功海水浴大会を伊豆の大瀬海水浴場で開催して、その一環として、ついでに長岡の史蹟名所を見て歩こうではないかつーよーな企画でこの江川邸に来たのである。

江川邸は伊豆国田方郡韮山(静岡県伊豆の国市韮山町)を本拠とした江戸幕府の世襲代官である江川太郎左衛門(えがわたろうざえもん)の屋敷であるのである。

中でも36代の江川英龍(えがわ ひでたつ)が著名であるのである。 

江川英龍は、江川英毅(えがわひでたけ)の次男として生まれ、江戸時代後期に世襲により伊豆韮山代官を勤めた人であるのである。

通称は太郎左衛門(たろうざえもん)、また、号の坦庵(たんあん)の呼び名で知られているのであるのである。

韮山では坦庵と書いて「たんなん」と読むことが多いのであるのである。 

太郎左衛門とは江川家の代々の当主の通称であるのである。

英龍は洋学とりわけ近代的な沿岸防備の手法に強い関心を抱き、反射炉を築き、日本に西洋砲術を普及させたのである。

さらに、地方一代官であったが海防の建言を行い、勘定吟味役まで異例の昇進を重ね、幕閣入を果たし、勘定奉行任命を目前に病死したのであるのである。

領民思いの施策を誠実に進めたことから、領民は彼を「世直し江川大明神」と呼んで敬愛したのである。

昨日のテレビ番組で偶然この英龍さんを取り上げていたのであるが、幕府軍の戦時食としての兵糧米の代わりに、炊飯する必要のないパンを持たせるということを提案したそうである。

なにしろおつむのひじょーによろしい人であったわけである。

また、江川家の江戸屋敷が幕府瓦解後、柏木忠俊の配慮で福沢諭吉に払い下げられて慶應義塾舎となり、正門は韮山に運んでこの江川邸の現在の表門となっているのである。

つーことで江川邸は由緒正しいりっぱなお家柄で、また歴史的資料としても重要な建物であるのであるが、表門から宮崎あおいの篤姫だらけであるのである。

つまり、某国営放送大河ドラマ「篤姫」で篤姫の実家のロケに使ったからであるのである。

江川英龍よりも宮崎あおいの方が観光客にわかりやすからだろうと思うが、それにしても宮崎さんのポスターや写真が色あせてさすがにそれさえも歴史を感じさせるかというと「あちゃー」と思うだけであるので、もういいんじゃなかろうかと思うのはあたしだけではないような気がするが、大きなお世話であるのである。

それで、入り口で郷土資料館とセットで400円の入場料を払って「中で江川邸の説明を聞いてください」と言われて、宮崎さん演ずる篤姫のご尊顔を拝しながら粛々と歩いて行くと江川邸玄関に行き着いて、さらに順路に沿って歩いて行くと、庫裏つまり裏口台所に着くのである。

庫裏は大変広い土間で、かまどがあり、その隣には当時の大砲も陳列してあるのである。

庫裏に入ると何やら女性が数人の観光客とおぼしき男女に何やら説明しているのである。

「なるほど、これが説明だな、でも、聞いてると見学が1時間ぐらいかかりそうだから、なかったことにしよう」

つーことで、勝手にあちこち見て歩いて、郷土資料館も見て歩いてお帰りになったのである。

まあ、これ、写真でなく動画であるが、ううむ、写真よりなんつーのかリアルね、やっぱり。

ネットはなんつっても動画だな、ううむ。

カメラをあれこれ5台も買っちまってどーすんだよいったい。

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2012年8月19日日曜日

箱根神社の神々



箱根神社(はこねじんじゃ)は、神奈川県足柄下郡箱根町にある神社で、箱根大神(瓊瓊杵尊・木花咲耶姫命・彦火火出見尊の総称)を祀り、かつて は箱根権現、三所大権現と称したのであるのである。

つーことで箱根神社のプロフィールをざっくりとご紹介したところで、さていよいよ境内をうろうろするわけである。

まあ、以前にいつ来たのか忘れてしまったのであるが、箱根神社にこんなに長い石段があるとは思わなかったのである。

まあ、さすがに天下の険の箱根の鎮守であるだけに観光地としても年々整備されたのかどうなのか、どうも周辺に昔の素朴な面影はなくて、芦ノ湖の遊覧船乗り場のあたりも近代的つーのか、すっかり様変わりであるのである。

だから、境内の観光客も当然増加してるだろうと思うのであるが、この日はちょうど何かのガイドさんの研修の一段とご一緒で、本殿前は大賑わいであるのである。

そこで箱根大神のお引き合わせなのかどうなのか、後ろから名前を呼ばれて振り向いたら、これがぜんぜん見知らぬ妙齢の美しい女性であるのである。

しかし、女性の方はどうもあたしのことをよーく知ってるみたいで旧知の間柄のようなご挨拶をされて、

「ううう、困った、だれだろう、全く思い出せない、どうしたらいいんだ」

とどぎまぎしていたら相手もそれに気付いたらしく「これならわかる?」といってバッグからメガネを取り出してかけたら思いっきり思い出したのである。

いつもメガネをかけてる女性にしばらくぶりに会って、さらにメガネをかけていなくて髪型も違うとまったく記憶の引き出しから出せないもんであることがよーくわかったのである。

まあ、メガネをかけているときはべつになんとも思わなかったのであるが、この女性がメガネを外すとヘアスタイルとあいまってじつに艶笑する口元が艶めいて見え、神の波動も手伝っていやがうえにも気持ちもあそこもここもたかまって、

「しばらくぶりにお会いしましたが、あなたの美しさにあたしのハートはぼよよんです、ここはひとつ芦の湖畔で今夜はあなたと海賊船はいかがでしょうか」

と申し上げたら、

「今日は娘と来ております」

というつれないご返事で神罰てきめんあらいやんであるのである。

神のご意志とはあたしら凡人霊能者には計り知れない奥深いものがあるのである。

いってることがまったく要領を得ないのであるが、もちろんそれもこれも含めて箱根神社の八百万(やほよろず)の神々の神意による神威であるのである。

つーことで箱根神社から芦ノ湖まで続く参道を降りて行ったら、後ろから来たカップルの彼氏が彼女に向かって、

「ほらごらん、満ち潮になるとあの鳥居が水面に浮かんでるように見えるんだよ」

と解説してるのであるが、それは安芸の宮島の厳島神社である。

まあ、こんなトンチキに一生を託すかもしれない女性の惨憺たる人生が走馬灯のように眼前に投影されて霊能者である我が身を恨むこと数秒で記憶から消去されたのである。

箱根大神はどんどんネタを用意してくれるお笑い霊能芸人には実にありがたい神様であるのである。

お願い、バチあてないでね。

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2012年8月6日月曜日

伊豆急伊豆熱川駅



伊豆急伊豆熱川駅であるのである。

まあ、べつにあたしは鉄道マニアではぜんぜんないのである。

だから鉄道にも電車にも汽車にも新幹線にも駅舎にもレールにも興味はないのである。

しかし通りがかったのも何かの縁であるので、駅構内と周辺を散策してみたのである。

熱川駅構内の待合室にはなんと温泉旅館なんかの大浴場の入り口に置いてあるような大きな電動マッサージ椅子が3台も置かれていて、100円で数分間頭から足の先までグイングイントントングリグリとマッサージしていただけるのである。

でもグイングイントントングリグリしてもらってる人はだーれもいないのである。

あたしもとくにこってる所もないのでグイングイントントングリグリしてもらわなかったのである。

駅員さんの制服はいわゆるアロハでさすがに時代はこんなところまでクールビズであるのである。

あたしももちろんトレードマークのアロハであるので、アロハとアロハであらうふんであるのである。

駅の外には大きな足湯があって、どなたでも無料で足を茹でることができるのである。

でもだーれも足を茹でてる人はいないのである。

あたしもとくにあしを茹でる趣味はないので茹でてもらわなかったのである。

それで、さすがに熱川温泉であるので、駅の周辺にも源泉塔があちこちにあって、朦々(もうもう)と湯けむりが立ち上っているのである。

もちろんそこかしこに温泉の神が鎮座ましますのであるから、そのような気が湯とともに溢れてあなたを癒すわけであるが、心がけによってはそーでもないかもしれないのである。

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2012年8月2日木曜日

金櫻神社の神気を撮る



山梨県甲府市にある金櫻神社である。

金櫻神社の主たるご利益は金運である。

まあ、それで、この神社にお参りしたからといって、だれもが即大金持ちになれるのかとゆーとそーでもないわけである。

そこがね、神様の不公平丸出しのところであるのである。

しかし、もしかするとあなたには神様がそのときの気まぐれて金運を授けてくれないとは断言できないわけである。

人生というのは、まあ過去の経験に照らしあわせてだいたいのことが予測できるのであるが、その中に予測でき無いことが頻々と起きるので、いーろいろお楽しみなれるようにできているのである。

もちろん、その予測できないことの中には災難もあるわけである。

しかし、逆に幸運金運の種もあちこちばらまいてくれるのである。

しかし、その神の気まぐれに気づかないとその幸運金運の種を見逃してしまい育てることはできないわけである。

だから、神社参拝つーのは、神がばらまいた種を拾いに行くことでもあるのである。

金櫻神社には少名彦命、大己貴命、須佐之男命、日本武尊、櫛稲田媛命の神々が祭祀されているわけであるが、この皆さんはなにしろ神様であるので、あんたが大将でわがままであるのである。

わがままな子供が6人もだだをこねている状態であるのである。

理性も知性も理念も論理もないのである。

ところがこのわがままな皆さんは褒められると喜ぶのである。

ちょーしにのって、幸運金運の種をばーらばら投げるのである。

逆になんかやってくれなんてーことをいうと、これ、臍を曲げて癇癪を起こして不運悪、運災、難災、災厄てな石ころやゴミを投げつけてくるのである。

つーことで神社ではいっときの油断が命取りになるである。

鳥居をくぐったら「ありがたいありがたい、神様あんたはえらいっ」といっときも休まず連呼しなければならないのである。

つまり、めんどくさいのであるが、まあ、ものごとはなんでも慣れであるのである。

あっちもこっちも前も後ろも「ありがたいありがたい」であるのである。

それで、あたしのようにあれこれ見える人は、うろうろしてる神様に「いよっ大統領!粋だねどうも、にくいよダンナッ」てなお追従を言ってこれでもかと褒め上げるのである。

すると神様てなものはわがまま放題の子供であるから、褒められればキャッキャとお喜びになって幸運金運の種をばらまくのである。

まあ、それでも当然好き嫌いはあるので、あなたが行ったら何もしなくても石を投つげるかもしれないのである。

それもこれもありがたーい神意であるのである。

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2012年7月22日日曜日

昇仙峡をパワーストーンの霊力で仙娥滝まで歩く


昇仙峡である。

昇仙峡(しょうせんきょう)の正式名称は御嶽昇仙峡(みたけしょうせんきょう)である。

まあ、一般には御岳昇仙峡と新字体で書かれ、山梨県甲府市、甲府盆地北側、富士川の支流、荒川上流に位置する渓谷のお名前であるのである。

1923年(大正12年)に国指定名勝に指定され、さらに1953年(昭和28年)にはなんと特別名勝に格上げされたのであるのである。

なにしろ名勝であるのである。

名前勝ちであるのである。

まあ、とにかく長潭橋(ながとろばし)から、日本百選に選定されている仙娥滝(せんがたき)までの全長約5キロメートルに亘る渓谷は、川が花崗岩を深く侵食したことにより形成されたのであるのであるのであるったらあるのであるううううってなこったい。

秩父多摩甲斐国立公園に属し、渓谷内には、奇岩が至る所に見られ、日本二十五勝、平成の名水百選等に選定されているという見所満載の景勝地であるのであるからあるのでもういいかね。

つーことで昇仙峡の一口メモはこれでお開きとして、昇仙峡といえば水晶を代表としたパワーストーンである。

市営駐車場からの昇仙峡入り口の商店街の土産物屋の店頭店内には水晶、アメジストなどの色とりどりのパワーストーンがいーろいろ並んでいて、道端にも色とりどりの天然石がごろごろ置いてあるのである。

そのごろごろ置いてある赤青緑の天然石がパワーがあるのかないのか高価なのかどうなのかは定かで無いのであるが、なにしろどれもこれもでかいので持ってく人もいないらしくほったらかしであるのである。

まあ、商店街のおみやげ屋さんにはそれをこまかくしたパワーストーンがいーろいろ売ってるので、パワーストーンのパワーをこれでもかと実感したい人は、一個100円からいーろいろございますので、お買い上げいただいて、後々の人生の気休めとしていただきた。

それで、大変りっぱな建物のお土産さんの中を除いてみたら、団体のおばさまたちが店員さんの掛け声で「ヘマタイトー!」と絶叫なされて絶好調でお買い上げであるのである。

この水晶やパワーストーンのたぐいはこれ、ほったらかしの状況とでかさを考えると、とても日本産とは思えないので、中国あるいは東南アジア産の輸入品かね。

そんなことを霊能力チャネリング霊界通信で黄泉の国のあの方にお聞きするわけにもいかないので、まあ、どーでもいいのである。

こんなにパワーストーンの代表の水晶に囲まれていると、あたしの霊力もこよなく高まり、空中浮揚も鮮やかに昇仙峡のシンボル覚円峰の頂きをするりと飛び抜けて仙娥滝まで一気に着陸かと思うとそうでもなくて、やっぱりテクテクと歩かなくてはならないのである。

てなことで、上流の影絵の森美術館の隣の市営駐車場に車を停めて、商店街を抜けて仙娥滝まで降りて、さらに石門から県営駐車場まで、まあ、見物しながら1時間ぐらいのハイキングコースであるが、これ、往路は下りであるからご機嫌で歩いてきたのであるが、これを復路は延々登りで1時間と考えたら、別段ハイキングマニアてなことでもないので「うわあ、めんどくせー」てなことで、途中の土産物屋のおじさんに聞いたら、県営駐車場からバスで終点の影絵の森美術館まで戻れるというので、もちろんバスに乗って戻ったのである。

以前に来たときはトテ馬車てなもんに乗って下流から数キロを見物した記憶があるのであるが、観光の中心が上流の市営駐車場付近に移って、トテ馬車は廃止になってしまったのである。

Camera:LUMIX DMC-FH6

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2012年7月19日木曜日

深大寺境内の霊気神気を撮る


東京都調布市にある深大寺境内の霊気神気を天才霊能写真家象師匠が門外不出一子相伝により引き継がれた象源流写真術で余すところなく写し撮るわけである。

まあ、深大寺は仏教寺院であるので、もちろんお釈迦さんの教え、つまり仏の教え、つまり「仏教」を説き広めることが本分であるわけである。

しかし、お参りする皆さんは大半が寺院の建物や境内を「観る」ために訪れる観光客であるので、そこからお釈迦さんの教えを理解するかどうかはなんともいえないのである。

そうは言っても、行かないよりは行ったほうが多少なりとも仏の教えに近づくっちゃ近づくわけであるので、そこはそれ、受けるも受けないもあなた次第であるわけである。

あたしは霊能者であるので、境内のそこかしこに渦巻く霊気神気を受け、霊を観じ、神を感じるわけであるが、霊能者ではない一般衆生もその波動の影響を受けることは同じであるのである。

わかるかわからないかの差だけであるのである。

それもこれも、そこに集う、衆生、修行者、修験者、導師などの念による波動の集積であるわけであるので、心してそれをあなたの波動の高まりの法としていただきたい。

物見遊山になるか、霊場巡行となるかはあなたの心がけ次第であるわけである。

受けよう思わなければ一生受けることはないのである。

霊気神気を受けようと思うところから、人生の新しい楽しみがひとつ増えることになるのである。

そこがね、人生の面白いところであるのである。

Camera:RICOH GXR A28mm

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2012年7月6日金曜日

東京都神代植物公園・水生植物園


東京都調布市の深大寺のすぐそばにある東京都神代植物公園・水生植物園であるのである。

水生植物園だけに水生植物がいーろいろこれでもかと栽培されているわけであるが、あたしは植物にはなんの興味もないので、種類も名前もなにがなんだかわからないのである。

まあそれでも、なんつーのか、いこいのひとときであるのである。

神の造りたもう生命の息吹がいかんなくあれこれしてる、この世の極楽であるのである。

神がなんのためにこのような美しい風景をお造りになったのかと感動するわけであるが、この風景は都の担当者と造園業の皆さんがお造りになったのである。

まあ、そんなことはともかくとして、これがけっこう人がいて、深大寺観光から流れて来た人や、写真マニアが大きなカメラを持ってあちこちで写真をお撮りであるのである。

なにしろ広大な湿地であるわけであるので、水鳥も多々お食事に来られるだろうことは想像に難くないわけである。

湿地に渡された木道の途中には、その水鳥を待つ飲み物お食事イス持参のカメラおじさんおじいさん達が数人、三脚にカメラを据えて待ち構えていたりして、これでは水鳥も池におりて来れないんじゃなかろうかと思うのであるが、根気よくお待ちであるのである。

まあ、なんである、どなたも暇つぶしっちゃ暇つぶしであるわけであるが、あたしも昼食後の暇つぶしであるのである。

まことに人生はお亡くなりになるまでの暇つぶしであるのである。

こんなとこでひとつ。

Camera:RICOH GXR A28mm

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2012年7月3日火曜日

深大寺門前町を歩く


東京都調布にある深大寺の門前町を歩いてみたのである。

まあ、これ、実は仕事で近くまで来たので、昼飯に深大寺そばを食おうてなことで、鈴屋さんつーお店の有料駐車場に700円払って車を停めて立ち寄ったのであるが、ついでに深大寺に参拝して周囲をうろうろ歩きまわって写真も撮ったのである。

深大寺の門前町参道の入り口に、調布市にお住まいの水木センセーのキャラクターがお立ちのお茶屋があって、まんじゅうだのころっけだのを売ってるのであるが、そばを食いに来たので、まんじゅうもころっけも食わなかったのである。

それで、まあ、以前来た時にはこんなに店が多かった印象はなくて、参拝客なんかだーれもいない森閑とした参道の森の中に数軒のお茶屋風のそば屋があるだけで、その一軒の店先の縁台で深大寺そばを食って帰った記憶しかないのである。

それが、意外や意外、この日は平日であるのに大変な人数の参拝客で、さらに観光バスから降りてこられた中国人観光客の皆さんが、当たり前であるが中国語をわめきながらデジカメ持ってあちこち撮りながら群れをなしてお歩きであるのである。

これ、昨今のテレビ番組で頻繁に取り上げられてるせいなのかなんなのか、観光地化して参拝客とゆーよりは観光客がぞろぞろ歩いていて、店も爆発的に増えて大賑わいであるのである。

まあ、そうはいっても鎌倉ほどではないのであるが、それでも以前のだーれもいない森閑閑散とした印象を知るあたしには「こーら、びっくりね」つーぐらいびっくりしたのである。

日は流れ時は移り、今生きている瞬間の風景情景を記憶に写し撮りながら、記憶の川の流れに流されて過去となるのである。

まあ、なんでもいいや。

Camera:RICOH GXR A28mm
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2012年6月25日月曜日

久能山東照宮の神々を撮る


久能山東照宮(くのうざんとうしょうぐう)は、静岡県静岡市駿河区に鎮座する神社である。 

なにしろ、あの徳川家康公が祭神であるのである。 

そらもう、なんつっても徳川300年の基を築いたエネルギーの持ち主であるので、お亡くなりになってもこの威力であるのである。 

あたしなんぞがお亡くなりになっても、うっかりしてるとゴミに出されるのである。 

そこがやっぱり偉人と凡人の人生の違いといってしまえば、はいそれまでよであるのである。 

そんなどーでもいいことは置いといて、家康さんは、大御所として駿府におられた当時、「久能城は駿府城の本丸と思うぞよ」と、久能山の重要性を説いたといわれるのであるのである。

元和2年4月17日(1616年6月1日)に家康さんは駿府(現在の静岡)でお亡くなりになり、死後、その遺骸は遺言遺命によって駿河国の久能山に葬られ、元和3年(1617年)には2代将軍・秀忠さんによって東照社(現・久能山東照宮)の社殿が造営されたのであるのである。

現在は東照宮といえば首都圏の小学生の修学旅行などでもお馴染みのいわゆる日光東照宮が有名であるが、秀忠さんは日光山麓にも東照社(現・日光東照宮)社殿を造営し、改葬したのである。

まあ、てなことで、1159段の石段をかけ上がって本殿拝殿に参拝すれば、これ、血行促進脚力増進で健康成就ご利益満点であるのである。

さらにそこかしこに鎮座する八百万(やほよろず)の神々に出会えば、あなたの体内波動はさらに高まり、あらえっさっさーとなること請け合いであるのである。

人間、元気なうちが華であるのである。

あんまり面白くねーかな。

まあ、なんでもいいやね。

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2012年6月6日水曜日

新東名高速道路駿河湾沼津下りSAでなんだこりゃ


新東名高速道路の駿河湾沼津下りサービスエリアを見学に行ったのである。

NEOPASA駿河湾沼津であるのである。

なにしろNEOPASAであるのである。

意味がわからんがNEOPASAであるのである。

テレビ番組で駿河湾沼津SAを再三に渡り面白そうにネタにしてたので、「ううむ、そんなに楽しいのなら、行ってみないことには死んでも死に切れない」つーことで、べつにお亡くなりになる予定は全然ないのであるが、まあ、とにかく寄ってみたわけである。

まあ、下り御殿場ジャンクションから新東名の最初のサービスエリアであることもあるとは思うが、平日の10時頃なのに、小型車用の駐車場は入口から満員で、並んだ乗用車の皆さんを駐車係のおじさんが大型車用の駐車場に誘導してたりして、大人気であるのである。

それでまあ、なんとか駐車場に車を停めて「さあ、なんかうまいもんを食うぞ」と張り切って車を降りたのであるが、どうもテレビ番組の様子とは違うのである。

えらいさっぱりとした作りで、とくに変わったこともないのである。

まあ、施設の内外をくまなくうろうろしてみたのであるが、できたばかりで設備もデザインも新しいのでそれなりに新鮮味はないでもないのであるが、ある意味場違いなぐらいに豪華なトイレ以外は基本的にごくふつーの高速道路のサービスエリアであるのである。

フードコートを見ても、番組でやってたうまそうな海鮮丼のたぐいはないのである。

「ううう、これは予想とはちがう、テレビではこんなんではなかった、ああ、グルメ食道楽食い倒れのあたしの胃袋はいったいどうしたらいいんだろうか」と大変悲嘆に暮れて日が暮れて、いや、まだ午前中だからまだ日暮れにはそうとう時間があるが、とにかくがっかりがっくりこっくりさんで悪霊呼んで窓から転落いてててつーぐらいお嘆き遊ばしたのである。

しかし、そこはそれ、才気煥発一を聞いて十を知る天才霊能者象師匠であるので、「ああ、もしかするとこれ、テレビでやってたのは下りではなく上りの駿河湾沼津サービスエリアだったんじゃなかろうか」つー結論に達して、フードコートの某うえしまこーしー店でこーしーを飲んでさっさと本線に戻ったのである。

人生というものは勘違いの連続でこよなくお楽しみが増えるわけであるのである。

ううむ、どうやっても面白くならんが、まあいいや。

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2012年5月30日水曜日

寸又峡・夢の吊橋・飛龍橋・外森神社・観音堂


まあ、その、なんだ、物見遊山で新東名高速道路を走ってみようてなことで、どこに泊まろうかつーことで地図を見ると、どうみても寸又峡温泉であるのである。

事実、寸又峡温泉は新東名が開通してから、観光客が激増して、休日には夢の吊橋なんかは人が多すぎで順番待ちになるてなことをニュースでやってたぐらいであるのである。

「ううむ、ここはひとつ寸又峡の神々の霊気神気を象源流写真術で撮って今後の日本の礎としなければご先祖様に申し訳が立たない」つーよーな意味不明の神のお告げに惑わされて出発進行の汽笛一声ドラの音もゲホゲホと霧にむせぶのか叫ぶのか奇々怪々の旅となるわけかねきみきみあのね。

あいかわらず日本語になってないのはご愛嬌つーことで、ご愛嬌って、しかし、まあいいや。

寸又峡温泉(すまたきょうおんせん)は、静岡県榛原郡川根本町(旧国遠江国)にある温泉であるのである。

地図を見るととんでもない山の中で、「うへえ、これはいったいどうなるんだろう」と無計画無目的いいかげんが信条のあたしもさすがに心配になったのであるが、案に相違して寸又峡温泉までの道は整備されていて、お気楽な道中であったのである。

それで、まあ、島田金谷てな新東名のインターチェンジで降りて、50㎞ぐらいの山道をぐるぐる行くと、寸又峡観光案内所のある第三駐車場の広場に着くのである。

観光案内所の隣には南アルプス山岳図書館てな不思議なものもあって、山好きにはなかなか美味しそうな趣であるが、あたしは山にはまるっきり興味がないので、当たり前であるが図書館に入って山の本を読む気はさらさらないのである。

いずれにしても、平日のせいか図書館も観光案内所も人がいる様子がないのでまあ、スルーして、寸又峡名物の夢の吊橋に向かってレッツラゴーと歩き始めたら、これがもう、けっこうなハイキングコースで、吊り橋まで30分かかって、それで吊り橋の入り口に着いたらそこから階段で延々降ろされて、階段階段また階段で、「ううう、こんなに階段を降りたつーことは帰りはこの階段を上がらなければならないつーことではないか、これではハイキングコースというよりはトレーニングコースではないか」つーぐらいのありがたいご利益であるのである。

それで、吊り橋を渡ったら案の定、飛龍橋まで30分ぐらいの階段階段また階段から山道をえんやこらで、結局1時間30分ぐらいのトレーニングコースを走破したわけである。

まあ、それで、温泉街をうろうろしてたらば、見回りの元気な駐在さんとお友達になって、いっしょに外森山神社までとんでもない急な階段をダッシュで登って、お参りしてありがたいありがたいと死にそうになったのである。

時はめぐり川は流れ留まることなくあなたもあたしも現在をこの瞬間を生きるわけである。

あなたの存在は過去にも未来にもなく現在が総てであるのである。

今、息をしているあなたが総てであるのである。

てなことでひとつお願いしますよ。

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2012年5月26日土曜日

町田天満宮境内の神を写真に撮る


町田天満宮は東京都町田市にある神社である。

なにしろ町田天満宮というぐらいであるから町田の天満宮であるのである。

町田天満宮には牛さんがおられるのである。

天満宮の祭神の菅原道真さんが学問の神というお顔の他に農業農耕神というお顔もお持ちであるからであるのである。

さらに、冤罪で苦しんでいる人をお救いになるというありがたいご利益もあるのである。

その御利益はご本人の生前あるいは没後のエピソードによるものであるわけであるが、まあ、それを人生の糧とするのか、ナンセンスと捉えるのかは個人個人の生きてきたことによる経験に培われた記憶の蓄積集積によるわけである。

何をいってるのかわからないと思うのであるが、あたしにだってわからないのである。

てきとーにキーボードを叩いているだけであるからである。

きてとーにたたいても神のお告げ啓示神示思し召しの御筆先は霊山の湧水のごとく囂々(ごうごう)と涌きいで、乾いて荒んだ人身の魂を潤すのである。

まさに霊界通信霊界物語であるのである。

あとからルビをふるのが大変であるのである。

何をいってるんでしょうか。

さて、まあ、無駄話はこれぐらいにして、ううう、爪がキーにひっかかるので、爪を切るのである。

パチンパチン。

さらに無駄話は続くのである。

まあ、それで、この町田天満宮に行ってみると、わかる方はわかる大変な霊気神気であるのである。

それで、この霊気神気の波動とお光はどこから来るのかと、境内にアンテナを張ってみると、御祭神の菅原道真公が祀られている本殿拝殿からではないのである。

左の方にある、小さな出世稲荷神社のあたりから強烈な波動が押し寄せてくるのである。

その稲荷神社の鳥居の前に立つとその波動は一段と強烈さを増し、こちらからも波動を送ると、その振動に共鳴を起こして、飛ばされそうになるぐらいであるのである。

宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)であるのである。

まあ、たいていの神社神道の神社境内に鎮座する稲荷神社の祭神のご本家は京都の伏見稲荷の御祭神である宇迦之御魂神であるわけであるが、この町田天満宮の出世稲荷神社に祀られているのも伏見稲荷から勧請したした宇迦之御魂神であるのである。

まあ、それが当時の神職によりみごとに勧請されて、ここに鎮座ましましておられるわけである。

その霊気神気の波動振動を写真に収めておりますので、全身の感覚を総動員の上でこの動画を凝視して、あなたの素粒子クォークの振動にさらなる揺らぎをあたえ、変化変性の緒(いとぐち)としていただきたい。

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2012年5月10日木曜日

武蔵御嶽神社玉垣内の摂社末社



武蔵御嶽神社(むさしみたけじんじゃ)は、東京都青梅市(武蔵国多磨郡)にある神社である。

中世以降、山岳信仰の霊場として発展し、武蔵・相模に渡る信仰圏を獲得し、式内大麻止乃豆天神社という説があり、旧府社である。現在は神社本庁に属していない単立神社であるのであるのである。

つーことで、型通りの武蔵御嶽神社のご紹介を滞りなくすませて、まあ、毎年あたしはこの神社に大口真神の御神札を戴きに詣でるわけであるが、前回は詣でた日がたしか休日であったせいか、本殿拝殿裏側の玉垣が閉まっており、立入禁止になっていて、摂社末社を写真に撮れなかったのである。

しかし、今回は、なんのこともなく玉垣の入り口の冊の扉が開いていて、出入り自由だったのである。

まあ、とにかく摂社末社を全部写真に撮ったわけであるが、これがもう盛りだくさんで、多すぎてどんな神様が祭ってあるのかわけがわからないのである。

ちなみに玉垣内には、二柱社(伊弉諾尊と伊弉冉尊を祭る)、八柱社(春日社、八幡社、䗝養社、八雲社、座摩社、月乃社、国造社、八神社を祭る)、北野社(菅原道真を祭る)、巨福社(埴山姫命を祭る)、神明社(天照大神を祭る)、大口真神社(おおくちまがみ しゃ)(大口真神を祭る)、常磐堅磐社(ときわかきわ しゃ)崇神天皇・景行天皇・安閑天皇・清和天皇と狭依比売神ほか96柱を祭る)、皇御孫命社(すめみまのみこと しゃ)(瓊々杵尊祭る)、東照社(東照大権現祭る)があるのであるが、どれがどれやらわからないので、まあ、全部まとめて恒例のありがたいありがたいてなことでお礼を申し上げたのはいうまでもないことであるのである。

なんでもお礼をいっとけば、そら誰でも悪い気はしないのである。

お礼を言われて「このやろう、おべんちゃら使いやがって、バチててやる」なんて神様はおそらくいないのである。

まあ、これ、おそらくであって、なにしろ神様のことであるので、話し合いはとてもできだもんじゃありませんの、中には虫の居所が悪くて意味もなくとんでもない神罰を下して「ざまーみろ」なんてことになるかどうかはなんともいえないのであるが、現在もあたしは元気でこんなでたらめなブログを書いているわけであるので、とくに取り立てて神様のご機嫌をそこねたてなことはないわけである。

御存知の通り、神も仏もないあたしであるが、あたしは、まあ、当面の目標は親族の平均寿命の95歳を上回るのが目標であるので、これが、150歳まで死ななくなるご利益の神様てなもんがあったら、そら本気でお参りしちゃうのである。

しかし、そんなもんがあったら、世界中から欲得強欲の衆生が押しかけて身動き取れなくなって、将棋倒しで押しつぶされて下敷きなって寿命が終わる人も出たりして、中には順番待ちでもめて刺されてお亡くなりになる人もでたりして、神様は呆れてすぐ昇神されて、河岸を変えてどっかに行ってしまうのである。

ううむ、神様が河岸を変えるてな物言いはどーなのかとは思うが、ああ、飽きてきた、終わり。

てなことで、どれどれ。

直すのめんどくさいから誤字脱字がありませんように。

いや、べつに神様にお願いしてるわけじゃないのである。

ううむ、でも、やっぱり神様にお願いしてるかね。

神様にうっかりお願いしたりするとバチが当たりますよ。

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2012年4月30日月曜日

塩船観音寺境内散策



東京都青梅市塩船にある真言宗醍醐派別格本山である大悲山塩船観音寺の境内に充満する真言宗開祖弘法大師空海の霊気に感応して、波動を増幅させ、宇宙のエネルギーを我がものとせんとする広大無辺の喜び寿(ことほ)ぎの物見遊山であるのである。

本堂、仁王門、阿弥陀堂はいずれも国指定重要文化財であるのであるのである。

木造千手観世音菩薩立像、木造金剛力士(仁王)立像2躯 、木造二十八部衆立像はいずれも東京都指定有形文化財であるのである。

薬師堂、木造薬師如来立像、木造毘沙門天立像 本尊脇侍、木造観音菩薩立像 阿弥陀如来脇侍、銅鐘、青石塔婆、大般若経はいずれも青梅市指定有形文化財であるのである。

観音寺の大スギ(夫婦杉、二本)は東京都指定天然記念物であるのである。

つーことで重要文化財、有形文化財、天然記念物などが目白押しのなかなかグーなお寺であるわけである。

グーってしかし、パーではないわけである。

もちろんチョキでもないわけである。

チョキチョキするのはハサミであるが、セサミはごまのことであるのである。

セサミはごまのことであるが、ササミは鶏肉であるのである。

しかし、ササミはおそらく現在までサザビーズで競売にかけられたことがないのであると思うが、調べたわけではないので定かではないのである。

ううう、収拾がつかないからやめるのである。

それで、まあ、とにかく塩船観音寺といえばツツジが有名で、観光ツアーなんかもあるのであるが、この時は開花時期に少し早かったので、ほとんどのツツジはまだ咲いてないのである。

まあ、それでも護摩堂の周囲には紫色のツツジが点々とあちこち咲いていて、それなりに趣はあるのである。

塩船観音寺の境内は相当広くて、ツツジの開花時期には観光バスが続々と到着して大変な賑わいだと思うのであるが、まあ、この日は時期はずれで、さらに平日であるので、ご覧通りだーれもいなくて寂しい限りであるが、神社仏閣巡りつーのは平日はこんな感じ多いのである。

このように時期はずれで平日の塩船観音寺の境内は相当に広くてだーれもいないのであるが、酔っ払って喚きながらゲロ吐いて走り回ったりすると怒られるのである。

あくまでも、真言密教・修験道の流れを組む厳しいお寺であるので、そこはそれ、三密であるのである。

三密とは限りなく仏に近づき、さらに限りなく宇宙との一体化を目指すための行を死ぬ気で行うことであるのである。

何事も命がけというコンセプトがないと成就されないのが密教の世界であるのである。

その命がけの三密の行とは、即ち手には印を結び(身密)、口に真言を唱え(口密)、心の仏との一体化を念ずる(意密)、てな行であるのである。

まあ、印を結んで真言を唱えて心仏一体を念じて命がけというのはいったいどの程度の命がけなのかなかなか判定しがたいところであるが、まあ、寒中に褌一丁でずーっと飲まず食わずで不眠不休で何週間もやれば命はあぶなくなるがそれが命がけということかというとそうでもないかもしれないのである。

まあ、そんなことをしてたら寒くて腹へって眠くてしまいには意識混濁で修行どころじゃないので、やっぱり命がけよりは良い環境で良い食事で良い睡眠をとって修行に励んだほうが効果的であるのは必定であるのである。

なに言ってんでしょうか。

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2012年4月20日金曜日

水澤観音(五徳山水澤寺)境内散策



水澤観音(五徳山水澤寺)は、群馬県渋川市にある天台宗の寺院である。

まあ、水澤観音というとおり、本尊は十一面千手観音であるのである。

水澤観音は小高い山の上にあるので、本来は参道入口から急な階段をえっちらおっちらあがって、「あーしんど」と、一息も二息もついたころにやっと境内本殿にたどり着くのである.

しかし、その本殿に直結して数百台が停まれる大駐車場があるので、物見遊山の観光客参拝客はバスや車を降りてそこからお気楽に本殿に参拝してそのまま駐車場に戻ってお帰りになるので、だーれも参道の階段にはいないのである。

まあ、あたしはもちろん象源教教祖大霊能者象師匠であるので、階段下の入り口から階段を軽やかに駆け上がり、本堂の賽銭箱に全力投球で100円玉と投げ込んで、「オン・バザラ・タラマ・キリク・ソワカアアアアウアアアアアアアアドエエエエイッ」と喚こうと思ったのであるが、なにしろ人気の観音さんであるので、平日でも本堂の前は参拝客がたーくさんおられて、恥ずかしいのでごくごくちーさな声で3度お唱えしたのである。

県指定文化財の六角堂・二重塔(輪蔵)は、天明七年(1787年)に竣工された銅板瓦棒葺の造りで、内部にはマニ車があって、その上に開運六地蔵が安置されているのである。

その六地蔵は地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間界、天人界の六道を守る地蔵尊で、六道輪廻の相を表しているのである。

まあ、あたしも仏教徒のはしくれのはしくれの端っこの隅の一人であるので、このお地蔵さんがのっかった思いマニ車をキーキーぐるぐると3回まわしてワンであるのである。

実はこれ、伊香保神社に行くのが目的で、その通りがかりに寄ったのであるが、これが意外や意外の大人気大賑わいであるのである。

まあ、駐車場から本堂に行って、そこから階段を仁王門の下の参道階段入口まで降りて、そこから本堂まで急な階段を上がって、さらに本堂の横にあるさらに急な階段を上がって飯縄大権現を参拝したのは、その大賑わいの参拝客の中であたしぐらいのもんであるので、まあ、あたしは水澤観音の健康成就のご利益を独り占めみたいなもんであるのである。

ああ、ありがたいありがたい。

てなことで、どうでしょうか。

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2012年4月12日木曜日

伊香保神社境内散策



伊香保神社(いかほじんじゃ)は、群馬県渋川市にある神社で、伊香保温泉を守護する神社であるのである。

伊香保神社の境内をあちこちうろうろと散策してみるわけである。

なにしろ伊香保温泉を守護するわけであるので、境内では盛大に鳴り物入り呼び込みも賑やかに温泉まんじゅうを売ってるのかと思うとそうでもなくて、まあ、いってみれいばどこの地域にもある鎮守様つーよーな雰囲気のこじんまりとした神社であるのである。

まあ、そのこじんまりとした分、親しみやすく安心できる神社で、それだけでも温泉効能の一助であるかも知れないのである。

ううう、朝起きたばかりで目が覚めないので、いってることがわけがわからない。

ちょっとコーヒーを飲むので、休憩。

まあ、境内には絵馬がご神木に巻きつけられたりしているのである。

伊香保神社のご利益は温泉効能であるのであるが、絵馬を見てみると、お願いするのは受験合格祈願であったり恋愛成就であったりするのである。

観光に来てその神社の祭神がなんであるかなーんてことを考える人はほとんどいないので、伊香保神社の祭神の少彦名命(スクナビコナ)のご利益である温泉治療成功祈願なんて祈願をする人は稀であろうから、まあ、それはそれでいいわけである。

伊香保神社の境内の裏側に回ってみると、その眼下には鄙(ひな)びた温泉街がさらに続いていて、「ああ、しまった、こっちの情緒たっぷりの今にも潰れそうな旅館にすればよかった」なんて反省をしてみたりして、まあ、実際に泊まるとなる二の足を踏むのはわかっていても、それもこれも含めて楽しめる神社であるのである。

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2012年4月1日日曜日

成田山出世稲荷神社



千葉県成田市にある成田山新勝寺の境内横に鎮座する成田山出世稲荷神社である。

まあ、全国にいくつもある出世稲荷神社の一社で、この成田山出世稲荷は市谷亀岡八幡宮の出世稲荷神社の御分霊を祀ったものであると言われているのである。

ご利益は出世・開運であるのである。

なにしろ出世して開運してしまうわけであるから、ありがたいことこの上ない神社であるのである。

まあ、この成田山出世稲荷も日本の各地にある寺院の鎮守稲荷と同様に仏教の神様である荼枳尼天を御神体として祀り、真言は「ノーマクサンマンダキリカクソワカ」であるのであると社の祭壇の説明書きに書いてあるのである。

まあ、稲荷といえば狐であるが、この成田山出世稲荷も境内はおもいっきりの狐だらけであるのである。

いくつもの小さな祠(ほこら)にそれぞれ鳥居があり、狐を置いてあるので、これ、農地などのあちこちに点在していて行き場のなくなった稲荷の祠をここに集めてお祀りしてるんだろうと思うのであるが、稲荷さんに聞いてみたわけではないので定かではないのである。

あたしのような大霊能者でも、うかつに霊能スイッチを入れて霊界通信を仕掛けたりすると、稲荷さんはとんでもないタタリ神罰をもってお応えになるので、うっかり友だち感覚で話しかけたりしてはいけないのである。

稲荷さんはものすごい我がままであるのである。

稲荷さんに一度でも祈願諸願お願いてなことをしたら、一生にわたって足を運んで、徹底的にお礼をしないとご機嫌を損ねるのである。

その場だけの物見遊山でお参りなんてのはもっての他である。

まあ、だいぶ前にうちの敷地にある稲荷神社の社(やしろ)の建て直しを出入りの実直誠実謹厳な工事会社のしゃちょーに頼んだら、「稲荷はタタルからやだ」と断られて、他の会社に頼んだことがあるのであるが、とくに工事関係の人は稲荷さんにはとても神経質で、当たらず触らずなのである。

おおこわ。

つーことで、とにかく稲荷神社にお参りしたときは、商売繁盛や立身出世などのお願いごとをするなんてことはもってのほかで、ひたすらお礼を申し上げて、「あんたはえらい!、いよっ稲荷の親方!大将!粋だね渋いね!こんなに赤が似合うのはあんたと還暦のじじいだけだよこの色男!」と褒め上げおだて上げるのが正しい参拝の作法であるのである。

ううむ、よけい怒るかな。

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2012年3月27日火曜日

成田山新勝寺境内散策



千葉県成田市にある成田山新勝寺の境内をくまなく散策見学観光参拝してみるわけである。

新勝寺はJR成田駅から、商店街を抜けて10分ほど歩いたところにあるのである。

なにしろ、ご本尊様はなにしおう象気功ご推薦の不動明王であるので、ここはひとつ隅から隅まで境内を歩きまわってこれでもかと賽銭箱に100円ずつ投げ込んで、ううぬ、仏様に向かって投げ込んではどうかと思うが、まあ、とにかく動作としては投げ込んで、霊験があってもなくてもありがたいありがたいと拝み倒すわけである。

なんでも、お礼を言っとけ言っとけてなもんであるわけであるが、そら、仏様だって、お礼を言われて嫌な気がするわけはなかろうから、褒めておだてておけばものごとは万事よろしい方向に回転するのである。

その反対に嫌なことを言えば、もちろんそれに対して嫌なお返しがあるわけであるので、ものごとは万事よろしくない方向に回転を始めるわけである。

まあ、神様仏様にとって、その「嫌なこと」と言うのは、見ず知らずの奴にいきなりあれこれお願いされたりすることであるのである。

だから、普段、神も仏もないあたしらは間違っても、いい学校に合格したいだの、商売が繁盛しますようにだの、運が良くなりますようにだの、病気が治りますようにだのと、自分勝手なお願いご祈願をしてはいけないのである。

ここがね、神様仏様のお気持ちを理解出来ないシロートの陥る神社仏閣参拝の誤謬であるのである。

誤謬って、まあ、いいや、まあ、とにかくなんでもかんでもお礼を言っとけば何事もまるく収まるのである。

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2012年2月28日火曜日

武田神社境内散策



フジのもしツアを見ていたらば、この武田神社をネタにしたいたので、「おお、鳥居の前の道路も整備されていて、門前町もいろいろありそうで、なかなか雰囲気がいいではないか、ひとつ行って門前町でうまいもんをみつくろってこれでもかと食ってみようではありませんか」つーよーな食欲にかられて、中央フリーウエイに乗ってユーミンを聞きながら滑走路しようと思ったらべつにユーミンのファンでもないのでCDがあるわけでもないのでBGMなしでEXPASA談合坂というの名の下り談合坂SAで朝飯食ったりして、コーラを飲みながら運転して2時間ぐらいでたどり着いたのである。

ううむ、改行しないと読みにくかろうと思うのであるが、大文豪天才文士象師匠の筆は絢爛豪華反乱悶絶疲労骨折でいたたたてな具合に翩翻(へんぽん)と翻(ひるがえ)ってあなたの身も心も抉(えぐ)り出すわけである。

てきとーにキーボードを叩くとあとでルビを入れたりしないといけねーからめんどーくせーのであるが、まあ、サービス過剰やりすぎ書きすぎ出しすぎへろへろで、とにもかくにも武田神社に着いたら驚いた。

番組の中でものすごく広く見えた道路はそうでもなくて、賑やかに見えた門前町の様子は一軒の土産物屋だけで、まあ、テレビ画面つーものはいいところだけを映すのでまったくあてにならないてなことを、今さらながらよーく実感再確認したのである。

まあ、TV番組てなもんは、観光地を寂しく映してしまってはわやくちゃであるので、まあ、画面からいらないもんはハケてもらって、いいとこ撮りで番組はめでたくおできになるつーことがわかってても、あなたもあたしもそこはそれだまされてなんぼの人生であるから、だまされてあちこち行ったり来たりが楽しいわけである。

なにしろこの神社は名前の通り武田信玄公をお祀りしているのであるから、人生必勝諸願成就のご利益満点、たっはっはつーぐらいの神頼み運頼みで今後の先行きは晴れか曇りか大雪かなんて思ってたら、明日の天気は大雪だてなお告げで、一泊の予定を取りやめて即刻帰宅の仕儀とあいなったのであるのである。

ニ礼二拍手一礼して、ありがたいありがたい。

とにかく拝んどけば間違いないのである。

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2012年2月7日火曜日

小田原城



小田原城(おだわらじょう)は、神奈川県小田原市にある城である。

もちろん現在のものはRC構造によりその当時を再現したもので、場内は4階までその当時の武具や書状、生活用具、民具などの展示場であるのである。

小田原城は戦国時代から江戸時代にかけての平山城で、北条氏の本拠地として有名であるが、江戸時代には小田原藩の藩庁があったのであるのである。

城跡は国の史跡に指定されているのであるのである。

大森頼春により1417年(応永24年)に築城され、おもな城主は後北条氏、阿部氏、稲葉氏
大久保氏であるのである。

江戸時代を通して1633年(寛永10年)と1703年(元禄16年)の2度も大地震に遭い、なかでも、元禄の地震では天守や櫓などが倒壊するなどの甚大な被害を受け、天守が再建されたのは1706年(宝永3年)で、この再建天守は明治に解体されるまで存続したのであるのである。

まあ、つーことであるが、城てなものはとにかくだだっ広くて、駐車場から天守閣まで遠い遠い。

まあ、実際には本丸、二の丸の広場に城主関係者の住居があったわけだろうから、だだっ広いというのは語弊があると思うが、まあ、とにかく延々歩かないと天守閣に辿り着かないのである。

それで、天守閣にたどり着いていざ写真をと思ったらば、場内は撮影禁止であるのである。

まあ、当時の武具や装身具、書状、刀剣類など、どれも歴史的なものがたーくさんであるので、資料集やら写真集やらビデオにされてしまうだろうから、そら撮影禁止であるのである。

それで、天守閣のおみやげ屋もの周辺にも撮影禁止となっているので、しょーがないので、物見に出て相模湾と小田原市内を写真に撮ったのである。

まあ、さすがに海と山に挟まれて、実によくできた要塞であるのであるが、まあ、戦のない現在では絶景であるのである。

この絶景は元来は殿様や関係者しか見ることができなかったわけであるが、時代が変わるとあたしら庶民のお楽しみとなったわけである。

ありがたいありがたい。

てなことである。

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2012年1月23日月曜日

大山阿夫利神社こま参道からケーブルカーに乗って下社拝殿まで



大山阿夫利神社は神奈川県伊勢原市にある神社である。

その大山阿夫利神社の名物のひとつに地域の伝統工芸玩具である「大山独楽(おおやまこま)」があるのである。

大山独楽はがっしりとした軸とカラフルな色合いが特徴で、大山には独楽を作る職人である木地師が必要とする材料としてのミズキが豊富にあることと、江戸中期からの大山信仰が盛んになったことと結びついておみやげとして有名になったのである。

また、独楽を回すと金運がついて回るてなことから、商売繁盛、五穀豊穣、家内安全などの縁起物でもあったのである。

おみやげの語源は神社仏閣参拝のご利益を持ち帰るということの「御宮笥(おみやげ)」であるそうであるので、大山独楽はまさに御宮笥であるわけである。

昭和の時代までの関東地方に住む子供たちは、この大山独楽を実際に「けんかこま」という遊びの道具として、独楽をぶつけあって楽しんでいたのである。

まあ、現在では子供の遊びもDSなどの室内ゲームが主体で、独楽をぶつけあって遊ぶなんてことはすっかり見ることがなくなってしまったので、飾り物としてのおみやげ品が主体であるのである。

この写真はこま参道入口の駐車場を出てからの道をどんどん上がって、大山ケーブルカーに乗って大山阿夫利神社下社拝殿までを撮ったものを動画に編集したものであるのである。

その時、あたしの眼に写ったリアリズムであるのである。

映ったのではないのである。

霊能写真家であるから写ったのである。

どーでもいいのである。

つーことでひとつ。

Camera : RICOH GXR A12 28mm
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