気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2011年8月31日水曜日
修善寺温泉・独鈷の湯の足湯で中国人もハイチーズ
独鈷の湯(とっこのゆ)は、静岡県伊豆市修善寺の修善寺温泉を流れる桂川の中にある史跡的温浴施設であるのである。
まあ、独鈷の湯は河原とはいえ、修善寺温泉街の人通りの多い道路際にあるので、そこで女性ならともかく、きたないおじさんがオケツをお出しなって入浴なされては環境問題が引き起こされるだろうなのかどうなのか、まあ、実際には公衆浴場として認可されていないために「立入禁止」となっているのであるのである。
それで、まあ、弘法大師が大同2年(807年)に修善寺を訪れたとき、そこに病に疲れた父親の体を河で洗う少年を見つけ、少年の親孝行に感心した大師は手に持った独鈷杵で河中の岩を打ち砕き、霊験あらたかなる温泉を噴出させたという伝説ゆかりの温泉のおすそ分けということで、その前に源泉かけ流しの足湯「河原湯」があるのである。
浴槽は長さ4メートル、幅1メートル。一度に6人が利用できるのである。
あたしもさっそく足を浸けてみたのであるが、なにしろ真言宗開祖大天才空海の念力により吹き出した湯であるので、その霊気が足から染み渡り、ああ、気持いい。
おばさまお二人もその気持ちよさに大満足でサンダル履いてお帰りであるのである。
さすがは我が師空海である。
807年(大同2年)から1200年以上も経つ現在に至るまで人々を癒し続けているのである。
だれが我が師だ。
川向こうは伊豆修善寺温泉湯の宿花小道と食事処特製ヤーコンそば・とろろであるのである。
まあ、最近の作りであると思うが、昔風の趣きを出しておられるわけである。
なかなか演出が効いてるのである。
足湯をみると、なんだか、大勢のおにーさんやおねーさんおじさんおばさんが群がってるのである。
おにーさんが足湯に入ってお喜びであるのである。
足湯の前は独鈷茶屋であるのである。
タオルが100円であるのであるが、べつにあたしは裸足にビーサンであるので、タオルはいらないのである。
ビーサンは天下無敵であるのであるが、ホテルではいやがられるのである。
足湯にはさらに大勢の皆さんが足を浸けて大騒ぎであるのであるが、皆さんなんとなく不思議なファッションであるので、「どこから来たんですか?」と聞いたらば「チュウゴクデス」とお答えであるのである。
チュウゴクの皆さんは記念写真も撮って大喜びであるのである。
さすがは我が師空海であるのである、チュウゴクの皆さんまで癒してしまうのである。
だれが我が師だ。
Camera : RICOH GXR A12 28mm
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2011年8月25日木曜日
下り足柄サービスエリアの御厨亭で蕎麦食ってお開き
さて、西伊豆大旅行の帰りの下り足柄サービスエリアに寄ってみるのである。
行きに海老名でそば屋のカレーライス食って失敗したので、帰りは失敗しないぞと気合いを入れてお駐車したのである。
絶対にうまいものを食うぞと張り切って中に入ったら、どうも、上りの足柄サービスエリアとは様子が違って、なんだか、とても簡素で、人もまばらであるのである。
まあ、最近の傾向で、無料のお茶がないらしいので、無料の水を飲むのである。
なにしろ暑くて脱水してるので、駆けつけ三杯であるのである。
下りの足柄SAはイスがいろいろでいろいろなコーナーになっているのである。
この応接セット風の椅子がどうみても座り心地がよろしかろうとゆーことでここに座るのである。
さて、それで、なにがなんでも今回は失敗しないように目をらんらんと光らせてフードコートを探索するのである。
おお!有名なラーメンの佐野さんの佐野家自家製麺の店があるではないか。
吉本の山田花子さんも注文しているぞ、いや、山田花子がここにいるわけはないか、何を言ってるんだ、落ち着け!まあ、とにかくここだ!今回はここ以外にはありえない、佐野さんのラーメンを絶対に食うぞっ。
いやいや、焦って決めると、そのすぐ後にもっといい店が見つかったりして、ろくなことはないので、全部の店をくまなく調べ上げるのである。
それで、ぐるぐる歩いてたらわけがわからなくなって、御厨亭つー蕎麦屋でもりそばを注文してしまったのである。
うううう、と泣いても注文したものはしょーがないのである。
なんでサービスエリアだとわけのわからないものを注文してしまうのかわけがわからないのである。
それで、泣きながら蕎麦を食べてマックのコーヒーを飲んで今回の西伊豆大旅行はお開きとなったのである。
Camera : RICOH GXR A12 28mm
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2011年8月24日水曜日
土肥金山を金鉱霊視でアジの開き
まあ、土肥の名物といえば温泉ともうひとつはこの土肥金山である。
土肥金山(といきんざん)または土肥鉱山(といこうざん)は、静岡県伊豆市の土肥地区にある金の鉱山の跡であるのである。
この金山は明治から昭和にかけては、佐渡金山に次ぐ日本第2位の産出量があったのであるが、1965年に鉱量枯渇のため閉山し、現在は土肥マリン観光株式会社に所有され、観光用に利用されているのである。
観光坑内には当時の鉱夫らの人形が再現されており、また、砂金採りの体験もできるのである。
金山資料館「黄金館」には、土肥金山に関する資料や鉱石などが展示され、ギネスにも認定された250kgの世界一の巨大金塊などもあるのである。
つーことであるが、早朝であるので、坑内を見学すして噂の金運山神社を参拝することもできないし、砂金採りも体験できないし、喫茶「金の砂」で噂の純金コーヒーを飲むこともできないので、入り口を霊写してスルーするのである。
磯料理季節料理ながたさんである。
いや、べつにこの店でなんか食いたいてなわけではなく、錆具合がよろしいの霊写してみたのである。
空の青と錆の色合いがなんともいえない風雅じゃありませんか。
まあ、季節柄、いろいろな花も満開であるので、霊写して、GRレンズ A12 28mmの威力を試してみるわけである。
ううむ、まあ、手持ちなのでこんなもんであるのである。
もう、夏休みに入ってるのであるが、登校日らしく小学生がちらほら学校に行くのである。
しかし、夏休みの意味がないように思うのであるが、まあ、夏休みは塾にも行くだろうから、今時の小学生は大変である。
土肥山川から伊豆の山々の景色である。
あの山の向こうに湯ヶ島があるわけである。
想像するだに情緒満点であるのである。
作家の創作意欲を掻き立ててあたしのあそこも掻き立てるのである。
ううむ、ほかに手立てはないもんかねしかし。
さてそろそろ朝食の用意もできてるだろうから、宿に戻るのである。
行きはよいよい帰りもよいよいであるのである。
なにがよいよいなのかわからんのであるが、まあ、小学生の他に人も歩き始める時間になってるのである。
魚安商店であるのである。
魚が安いのか、魚屋の安井さんなのかは不明であるのである。
もしかすると魚屋の安田さんかもしれないのである。
この道を来たのでこの道を戻るのである。
この道はいつかきた道であるが、さっき来た道であるのである。
黄金のいで湯とびわの里であるのである。
季節でないのでびわは売ってないのである。
さてさて、朝食はどんなんかなー?
Camera : RICOH GXR A12 28mm
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2011年8月23日火曜日
土肥海水浴場の海岸通りを霊写で松ぼっくり
朝食にはまーだまだ時間があるので、土肥海岸の海水浴場周辺を散歩して霊写除霊大祈祷してみるのである。
早起きは3文の得というとおり、台風一過の澄み渡る空気と青空で朝の風も爽やかであるのである。
この松林のある海岸通りがなんともまたよろしいのである。
その松林で犬を離してドッグランをする人がいるらしく、看板にはやめよう犬の放し飼い!散歩中のフンは飼い主があとしまつを!散歩中も犬を離さない土肥町であるのである。
まあ、通りがかりのあたしには風光明媚な海岸通りであるわけであるが、地元にお住まいの皆さんには現実の生活であるので、いろいろ苦情お悩みがあるわけである。
リアリズムが何気なく写し込まれてるのがいいじゃありませんか。
まあ、いわゆる漁師小屋でしょうか。
漁具がいろいろ干してあるのである。
まったくもってあたしの生活にはない光景であるのである。
ああ、心が洗われる。
この心が洗われるのが旅の醍醐味であるのである。
醍醐ってなんだろうか。
ほほう、五味の第五で、牛や羊の乳から精製した最上の味のものであるそうである。
まあ、なんでしょうね、今で言うヨーグルトかチーズか、ううむよくわからんが、非常に濃厚な甘味で薬用などに用いる、てなことであるのである。
醍醐味は仏語で「1、仏陀の最上で真実の教え。2、物事の本当のおもしろさ。深い味わい。」てなことであるそうである。
まあ、使い方としてはそんなに間違ってないわけである。
さらに五味ってなんだろうか。
ほほう、五種の味覚で、物の味の甘さ・酸(す)っぱさ・辛(から)さ・苦(にが)さ・鹹(しおから)さの五種であるのである。
仏教では、大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)に説く、牛乳を精製して順次に生ずる五つの味で、乳味・酪味・生酥(しょうそ)味・熟酥味・醍醐(だいご)味つーことであり、醍醐味を最高の味として仏の涅槃にたとえるのである。
なーるほどね。
天台宗ではこれを釈迦一代の教説の順序になぞらえ、五時教に配するとしているそうであるがどーでもいいなこれ。
これ以上広げても別に仏教に興味もないし、さして面白くなさそうなのでこのへんでお開きであるのである。
漁具と土肥海水浴場の風景であるのである。
まあ、海パンを持って来てないので泳ぐわけにもいかないので、景色を味わうだけであるのである。
そういえば海水浴をしなくなって、何年経つんでしょうか。
人間の故郷は海であるので、やっぱり一年に一回はこの潮騒を聞いて潮水に浸からなければならないのである。
細胞もDNAもお喜びになるのである。
なにしろ昨日まで台風の影響があったので、どこの店も閉まってるのであるが、この海の家あさやさんだけが早朝から張り切って開店してるのである。
でも、まだ、コーヒーを飲ませてくれそうもないので、スルーするのである。
子の心そっと見守る親の愛伊豆市教育委員会であるのである。
なにしろそっと見守るのである。
うるさく見守ってはいけないのである。
つーことでこの趣きのある道を抜けてみるのである。
ほれほれ、どうですか、この風景は。
たまりませんねえ。
たまねぎでしょうか。
いいね、こんな光景も、あたしの生活にはないのである。
あああ、心がじゃぶじゃぶお洗濯される。
おつむもじゃぶじゃぶじゃーぶじゃぶー♪こんんなーあいなかーあのーおんせんんげいいしゃあああっってかあ。
しょーがねーなー、脳に虫湧いてるから。
振り返ると道の奥に海が見えるのである。
なんて景色でしょうか。
ああ、あたしも土肥に住みたい。
でも、住んだら3日で飽きるのである。
あたしゃデトロイトまがいのてんやわんやの工場街のど真ん中のお上品なお育ちであるのである。
その道に松ぼっくりが落ちてたので、写真らしい写真を霊写してみたのである。
ナイスショットであるのである。
ああ、こりゃゴルフだ。
Camera : RICOH GXR A12 28mm
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2011年8月22日月曜日
土肥の街を朝メシ前に散歩
朝食の前に旅館内をあちこち散策してみたのであるが、まだ、時間があるので、せっかくであるので、土肥の街を散歩してみるのである。
台風が遠くの海上に過ぎ去ってピーカンであるのであるが、なにしろ早朝であるので、光の具合いがむちゃくちゃで、さすがのRICOH自慢のGRレンズも白飛び黒つぶれで、もうはちゃめちゃであるのであるが、まあ、この象源流写真術はリアリズムがコンセプトであるので、補正なんかしないのである。
これ、玉樟園新井のファサードから出るところであるのである。
目の前は玉樟園新井の一番近い駐車場である。
あたしの車もここに停めてあるのである。
お隣は牧水荘土肥館であるのである。
歌人若山牧水先生の常宿していたお宿だそうである。
あたしら作家同士はお互いに先生をつけて呼ばないといけないのである。
誰が作家同士だ。
玉樟園は花登先生のお宿で、さらに、かの川端先生は天城湯ケ島温泉の旅館湯本館で「伊豆の踊子」を執筆したてなことであるので、どうも作家は伊豆がお好きであるのである。
同業のあたしは諸先生のお気持ちが手に取るようにわかるのである。
だれが同業だ。
ううむ、もう、このネタもどうもね。
土肥館の前から海へ続く道である。
昨日の夕方、この道を通って来たらしいのであるが、記憶は曖昧であるのである。
この錆びた風景ね、これがたまらんのである。
漁村のリアリズムであるのである。
まあ、土肥まであたしゃ漁船とこれを撮りに来たみたいなもんであるのである。
右の建物の陰におばあさんが一人お立ちであるのである。
べつに霊ではなく人であるのであるが、霊写してついでに無料で除霊してあげるのである。
宇宙史上最高の大霊能者象師匠は太っ腹であるのである。
ちょこっと食べて酔ってかな~い?であるのである。
まあ、以前は旅館街のこの手の店が大好きで、夜になると旅館からふらふら出てきて、あちこち入ってぼられたりして面白がってたのであるが、最近はとにかく夜は9時には寝てしまうので、すっかりご無沙汰であるのである。
あの橋の右側はすぐ海であるのである。
いってみれば土肥のメインストリートかね。
土肥港であるのである。
台風が行ってしまったので昨日は船揚場(ふなあげば)にあった漁船も並んでいるんでしょうか。
黒つぶれでだれだかわからないのであるが、牧水先生の象であるのである。
ああ、象じゃないや像だ。
あれ?象でいいんだっけ?
ちがうちがう、象はパオーだ。
Camera : RICOH GXR A12 28mm
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