気功師象師匠の目に映る人生の日々である。人生は旅である。旅は癒やしである。癒やしは神である。癒やしである神のいる風景を求めて現世この世を徘徊するわけである。徘徊かよ。
2011年3月30日水曜日
ガードマン
この写真でなにが言いたいかというと、ぽつんと立ってる駐車場誘導のガードマンとその影だけを言いたいわけである。
大地震直後の某生協である。
もう、買いだめ商品はとっくになくて、棚はがらがらである。
でも、とくに混み合ってるてなこともなくて、客も整然とお買い物をなされているのである。
まだ、余震がぐらぐら来る日であったので、近所にお住いになるおばさまなのか大急ぎで店内に入られるのである。
地震の恐怖が伝わってくるような、なかなか緊張感のある写真であるのである。
しかし、なにしろ大地震直後であるので、店員のおにーさんは商品の手配におおわらわで、店の外で携帯電話をしきりにかけておられるのである。
あたしは店の端にある飲食コーナーでコーヒーを飲んでいるのである。
その横で何組か、あたし同様にコーヒーなんかを飲みながらのんびりとお休みになっているのである。
これが今日の一枚であるのである。
女性たちの生きている時間を切り取った写真であるのである。
Camera : RICOH GR DIGITAL Ⅲ
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2011年3月29日火曜日
廃車
わが社の店子の中古車屋さんのストック置場に捨ててあるオートバイである。
まあ、つまりゴミであるのである。
なんでゴミをストックしておくかというと、中古車屋さんというのは、たとえば生産終了の車種なんかに、このゴミから使える部品を取りだして修理に使ったりするので、バイクも含めて車のいろいろな車種をストックして置くわけである。
まあ、これはハーレーに見えるがYAMAHAのアメリカンタイプのDrag Starであるのである。
オートバイというのはそのデザインがある意味で完成されていて「芸術」でもあるのである。
ゴミである古いオートバイでもごらんの通りそうとう美しいのである。
今にも走り出しそうであるが、ゴミであるので走りださないのである。
まあ、バイクの長い歴史の中で、感性が磨かれ、このようにみごとなラインを描くようになったわけである。
まあ、今回は、とてもゲージュツにならないゴミを写したらどーなるかというコンセプトであるのであるが、このバイクでは意味があまりないので、もう、ほんとににっちもさっちもいかない車を写してみたのである。
どうであろうか、往年のポップアートのような写りであるのである。
なかなかいいのであるが、これではまだどうもすっきりしないので、さらにどうにもならないものを写してみるのである。
これでどうだという一枚であるのである。
どうもあぶない関係のにーちゃんが車を紫色にお塗りになって、さらにお得意の箱乗りジグザグ走行をしたりしてあげくの果てにこーなったという感じのオシャレなお車であるのである。
パーだけにパープルであるわけであるが、雑草のグリーンなんかとコラボしてなーかなかゲージュツしてるではありませんか。
Camera : RICOH GR DIGITAL Ⅲ
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2011年3月28日月曜日
昼の花
前々回は通りがかりの道端に落ちた椿の花であったのであるが、これは我が家の庭の椿であるのである。
まあ、GR D Ⅲで撮ればそこそこよろしい写真になるのはわかるが、これが6800円のEXILIMで花を撮ったらどうなるのかということで撮った写真であるのである。
このままカレンダーになりそうな写りであるのである。
こんなに写ってしまうと、写真は被写体の問題であって、カメラの性能なんてのはどーでもいいんじゃなかろうかと思うような一枚になってしまったのである。
マニアが一眼レフで3脚据えてもなかなかこうはとれないのである。
そこが写真の摩訶不思議であるので、やたらと高いカメラを買ったからといって、これと同じ写真になる保証はないので、しろーとの皆さんはメーカーの宣伝やマニアの噂に惑わされないようにしないといけないのである。
アングルを変えてもこの写りであるのである。
これ、オートであるのであるから、誰が撮ってもこうなるわけである。
まあ、それで、これは被写体が花だからこんなによろしい写真になるのだろうと思って、その辺の葉っぱを移したらどうなるのかということで撮ってみたのであるが、やっぱりこの写りであるのであれう。
すごいねどうも。
まあ、最期はこれであるが、これもいわば「バッチリ」あるのである。
カメラだけにパッチリかもしれないのであるが、あたし的にはバッチリであるのである。
Camera : CASIO EXILIM EX-Z330
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2011年3月27日日曜日
夜の花
我が家の庭に水仙が咲いたので早速お撮りになったのである。
ううむ、いいね、とてもしろーとのコンデジ手持ちのてきとーシャッターとはとても思えない写真であるのである。
秋山大先生がライティングに命をかけて三脚立てても、こうは撮れるもんじゃないのである。
アングルを変えてみてもこのとおりであるのである。
天才とは天の才であるのである。
バカボンであるのである。
バカのボンであるのである。
さらにアングルを変えてみてもバカボンであるのである。
こんなバカボンを放っておくのは世界の写真界の損失であるのであるが、世界の写真界があたしについてこれないだけであるのである。
言うのはただであるから言いたい放題であるのである。
少し寄ってみるのである。
ズームであるのである。
しかし、この GR D Ⅲ は単焦点であるので、走ってズームであるのである。
さらに走ってズームであるのである。
GR D Ⅲ は体力が必要であるのである。
さらにさらに限界までズームして、花の雄しべと雌しべの中までのぞいてみるのである。
なかなかエキセントリックな画像であるのである。
ズームアウトしてみる。
もちろん走ってズームアウトであるのである。
しかし、すごいね、こんな花の写真、いったい誰が撮れるのかね。
ああ、あたしでも撮れるのね。
うふん。
Camera : RICOH GR DIGITAL Ⅲ
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2011年3月25日金曜日
赤い花
ううむ、この木漏れ日の具合がなんともね、いいやねなかなか。
この写真で何を言いたいかというと、この木漏れ日と点々とした小さな赤い花ね、これが言いたいわけね。
まあ、つまりこれがセンスね。
扇子じゃありませんよ。
え?だまれ?ハイハイ。
仕事の途中に道を歩いてたら、竹林で暗くなった道の奥の方になにやら赤いものが落ちているのである。
よく見回すと足元にもあちこちにこの赤いものが落ちてるのである。
近くに寄ってみると椿の花が落ちてるのである。
3月も終わりであるから、まあ、椿の花は落ちるわけである。
椿の花というと、花が散らずにクビからポトンと落ちるのであまり縁起が良くないてなことできらう向きもあるのであるが、べつにそんなことをいわれても当の椿さんは神の思し召しによりそのように造られているわけであるから迷惑な話である。
それで、さらに寄ってみた写真であるのである。
赤い花が川を流れて行くようじゃございませんか。
もう、感動のあまり涙も溢れて来よるのである。
もちろん嘘泣きではありますが、この赤は椿の花以外ではおめにかかれないような独特の赤であるのである。
さらに寄ってアングルも変えてみるのである。
ますます、よろしいじゃございませんか。
ううむ、まあ、被写体がよろしいと、落ちてる花でも写真になるもんである。
もっと、むちゃくちゃな被写体にならないものをげーじゅつにしてみたいもんである。
Camera : RICOH GR DIGITAL Ⅲ
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2011年3月23日水曜日
出口
某ショッピングセンターの駐車場の出口であるのである。
この色合がまたなんともね、才能かね。
なにしろ、忙しくてわざわざ写真を撮りに行くひまなんかないので、通りがかりのなんでもない風景をあたしの霊能力で無理やり芸術にしようてな企画であるので、もう、敏感にその瞬間瞬間の霊気神気を感じてシャッターを押すわけである。
この写真なんかは典型で、これ、単なる駐車場出口であるので、気合を入れずに普通に撮ったら意味のわからない写真になるわけである。
まあ、ものごとはなんでも裂帛(れっぱく)の気合一発であるのである。
言ってる本人も意味がわからないのである。
それで、そこを出るとゲームセンターや飲食店なんかがある、バックヤードに出るのである。
中年のご夫婦らしいお二人が、左のパチンコ屋さんについてなんかお話しながら元気に歩いて行かれるのである。
このなにげないシルエットから語りかけてくるものが写真の醍醐味であるわけである。
え?ぜんぜん言ってることがわからない?
あたしにだってわかりませんよ。
左奥の方に自転車置場があるので寄ってみるのである。
うまい!と思わず言いたくなるほどうまく撮れてるベタな写真であるのである。
右上に換気口を配して見事な構図構成であるのである。
まあ、天才だからしょーがないのである。
え?そうは思わない?
しょーがねーなシロートはめんどくさくてよー。
シロートが普通に撮ると次の写真になるのである。
このように気合もなんにもない間の抜けたくだらない写真になるわけである。
これを気合一発で霊気神気を注入してベタな写真にするのが霊能力であるわけである。
まあ、平たく言うとアングルとF値とシャッター速度とISO感度であるわけであるが、それをいっちゃあおしまいだーね。
つーことで、この自転車やバイクに乗ってきた皆さんはスロットなんかをしてお楽しみであるわけである。
それでこの残された自転車やバイクの皆さんは、ご主人様がお帰りになるまでじっとここでお待ちになるわけである。
まあ、大儲けしてご機嫌のご主人も様もすっからかんになって意気消沈して出てくるご主人様もおられるわけであるが、自転車の皆さんはじーっとお待ちになるわけである。
どうだ!という一枚であるのである。
この通路の飲食店のバックヤードであるのである。
業務用空調システムなんかの室外機であるわけである。
今回の地震でもよーくわかるとおり、これがないと現代生活は成り立たないのである。
現代のリアリズムであるわけである。
まあ、神気霊気というのは意識に上らない脳の奥で醸成される想念の凝縮を見るということであるのである。
それが生活であり、リアリズムであるわけである。
いってることがどんどん難解になるのであるが、お筆先であるのでしょーがないのである。
つーことで最期の一枚であるのである。
さらにリアリズムであるのである。
そのバックヤードに並んでいたお掃除用具であるのである。
これ以上のリアリズムはないのである。
本日の一枚はもちろんこれであるのである。
掃除というのは人間としての最高の前頭葉の働きのひとつであるのである。
人間以外の生命体が「綺麗にするために」あるいは「綺麗に見せるために」自分の周囲を掃除をするということはないのである。
たとえば動物が巣穴の中を片付けたりするのは、居場所を確保するか、出産あるいは子育てに便利なように本能で整理するだけであるのである。
「綺麗に見えるようにする」ためや他者への気遣いのために掃除をするというのは、人間の巨大に発達した前頭葉のなせる人間だけの行いであり、その他の動物とは一線を画す高度な機能であるのである。
え?掃除は大っきらいだ?あたしだって大っきらいですよ。
Camera : RICOH GR DIGITAL Ⅲ
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2011年3月19日土曜日
自転車のお兄さん
いつものように仕事で通りがかった街を撮ってみたのである。
コンデジは上着のポケットに入るので、どこにも持って行けて、少しのヒマがあれば撮れるのでとてもいいのね。
これが、でかい一眼レフだと、持って歩いて撮るというだけで気合を入れないといけないのであるが、コンデジはいつもポケットに入っているのでお気楽にちょっとの時間があれば撮れるのである。
そうなると、まあ、一眼レフなみとはいかなくても、それなりに写るこのGR D Ⅲは抜群ね。
プロが重宝してるのがよーくわかるのである。
自転車で通りがかったおにーさんもこのとおりの写りであたしも大満足であるのである。
写真に味があるよね。
空を見上げればこの写真である。
湘南の風景かと思うような趣である。
うまいねどうも。
まあ、腕がちがいまんがな。
いや、カメラかね。
植木販売店の周囲のフェンスである。
なかなか豪快なアングルである。
写真はテクニックではないのである。
センスであるのであるのがよくわかる写真であるのである。
その植木屋さんであるのである。
べつに植木は買わないのであるが、写真は撮るのである。
このコントラストがまたなんともね、ううむ、いいね。
次行ってみよう。
その目の前の道路とマンホールである。
これなんかあたし的にはたまらん一枚であるのである。
リアルな日常であるのである。
その奥に捨てられていた自転車であるのである。
ベタな写真である。
意図が丸出しである。
こう撮ろうと思って撮った写真であるのであるが、まあ、捨てられた自転車も芸術になるのである。
その先を見るとこんなであるのである。
リアリズムであるのである。
日常が迫ってくるのである。
Camera : RICOH GR DIGITAL Ⅲ
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2011年3月16日水曜日
工事中
先日の夕方にメシを食いに立ち寄ったショッピングセンターに続いている公共施設がいろいろ入ったビルである。
どうも、あちこちお直しになっているので、改装中であるらしいのである。
窓の外側にポールが組んであるのは足場であるのである。
これ、足場がないとなんてこともないビルであるのであるが、足場を組むと実に不思議な光景になるのである。
右にパンしてもこんな感じである。
右側の建物がアミのシートで覆われているので、さらに不思議な光景であるのである。
SFアニメの背景みたいな感じである。
夕方であるので、光の具合が現実から遠ざける色合いを作り出しているのである。
写真は実に写す者の予測を裏切るのである。
4号機はどうなったのかね、さっき、手をつけられないといってたけど。
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2011年3月15日火曜日
運動場
仕事で通りがかった某施設の運動場であるのである。
てきとーに撮ったら意外におもしろい写りであったのでUPしてみるのである。
この送電線の鉄塔が空の色とのコンビネーションでなんともいえない味であるのである。
反対側の右にアングルを変えるとこんなであるのである。
逆光のせいかやわらかい写りになっているのである。
写真は写したものの意図からはみ出す時があるので面白いわけであるなあ。
まあ、なんにしてもあたしの霊能力が何を写しても芸術にしてしまうわけである。
おねーちゃん、うちは計画停電に入ってないの?ああそう。
燃料棒は大丈夫なのかね?え?やばいの?ううむ。
Camera : RICOH GR DIGITAL Ⅲ
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2011年3月14日月曜日
高幡不動尊|高幡不動尊商店街
まあ、テレビなんかの街歩きでは綿密にロケハンしておもしろおかしく作るわけであるが、実際には普通の生活の街であるので、どうなのかこうなのか、まあ、ぶらぶら歩きながらとにかくシャッターを押してみるわけである。
不思議な風景であるか、高幡不動尊の仁王門を出ると交差点の向こうにこの景色が見えるのである。
右のビルの不動せんべい開運堂の2階の窓に仁王門の影が映っているのである。
何事も仏縁であるので、心ある方はこの写真に手と手のシワを合わせてシアワセになりましょうね。
ううむ、地震騒ぎで頭がだめだ。
こんなことやってると計画停電で停電してしまうので、どんどん行かないといけないのである。
この開運そばと不動せんべい開運堂の間の通りが参道であるのである。
そこを入ってしばらく行くとこの団子屋さんの店先であるのである。
店の経営者の生活まで見える、なかなかリアリズムの写真であるのである。
なんかプロの意図丸出しの写真みたいであるが、まあ、あたしの才能がこれを写しとってしまうのである。
やたらとメタリックな写真であるが、それもこれも含めて高幡不動尊金剛寺の参道の風景であるわけである。
そうこうしてるうちにこれなんかはリアリズムがよーく見えるなかなか秀逸な写真であるのである。
コントラスト、陰影、建物の傾き具合、路地の奥行き、灯火のポールと建物に写るポールの影、その後ろにさりげなく人物を配置して、みごとな一枚である。
歩きながらてきとーにシャッターを押してこーゆー写真を撮ってしまうところが霊能派写真家象師匠の真骨頂であるわけである。
え?何言ってるかわからない?しょーがねーなシロートはよー。
ああ、あたしもりっぱなシロートだった。
つーことで、遠くの方に仁王門がお見えになっているのである。
また、あの仁王門の横にある駐車場まで帰らなくてはならないのである。
めんどくさいのである。
人生は楽あれば苦ありであるのである。
そんなこと言ってるとバチがあたるのである。
おお、揺れる揺れる、あらら、長野が地震だ。
しかしGRDⅢは写りがごつくてしっかりしてるよね。
これが、皆さんハマってしまうところかね。
Camera : RICOH GR DIGITAL Ⅲ
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2011年3月13日日曜日
巨大地震の夜
一昨日の東日本巨大地震発生の夜の写真であるのである。
東京でもところどころ停電で、我が家も停電であるのである。
日本の現代社会では電気がこないとどうにもならないのである。
石油ストーブさえファンヒーターであるので、電気が止まると使えないのである。
暖房がなんにもないので、ヒートテックを着て起毛のスウエットスーツを着てその上にコーデュロイのズボンとセーターとさらにジャンパーを着ているのである。
まあ、我が家は親の代からの築ン十年の古民家であるので、電磁調理器なんてしゃれたもんはなくて、ガスであるので、かろうじて、お湯をわかしたりなんだりはできるのである。
象印ポットにお湯を満タンにして、ろーそくの明かりでキットカットを食べてコーヒー飲んだりしてるわけである。
このダイニングではワンセグの状態が悪くてケイタイのテレビが受信できないので、20年ぐらい前に980円で買ったaiwaのトランジスタラジオを出してきて電池を入れたら、なんでもなくニュースを聞けたのである。
aiwaはえらいのである。
おお、揺れる揺れる、まだ余震があるのである。
すごいね、これ、大きいな。
これ、仕事場の2階で書いてるのであるが、仕事場は鉄骨構造なので地震には強いと思うのであるが、2階はものすごく揺れるのである。
まあ、アングルを変えて撮ってみるのである。
なんだか、よろしい雰囲気であるのである。
人間のこざかしい意思は傲然たる力のみの存在である神の前ではなんの意味もないのである。
しかしGRDⅢはすごいね、手持ちでオートでてきとーにシャッター押すだけでこれであるのである。
ううむ、これいいな、PCの壁紙にしよう。
Camera : RICOH GR DIGITAL Ⅲ
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2011年3月12日土曜日
高幡不動尊|大日堂
高幡不動尊の3回目である。
まあ、桜を撮りたいところであるが、関東地方はまだまるっきり開花時期ではないので、紅梅と白梅であるのである。
五重塔もバックでベタ丸出しであるのであるが、まあ、お寺だとどうしてもこーなるのはしょーがないやね。
その五重塔の出口にあった手水舎であるのである。
これはどうも大師堂の手水舎であるらしいのであるが、まあ、とにかく手水舎であるから手を洗って口をゆすいで柄杓の柄を洗って収めるわけである。
その手水舎からさらに歩いて行くと、なかなか趣きのある小道があるじゃありませんか。
あたしはこーゆー風景がけっこう好みであるのである。
そこを上がると、何やらお堂の入り口があって、ようすのよろしいカップルが履物を脱いでおられるのである。
ジャストミートな写真であるのである。
うまいねどうも。
今回の1枚はやっぱりこれであるのである。
こーゆー写真がたまらんのである。
ううむ、このカップルの並んだ靴のおかげで、実にいい雰囲気が出たのである。
大日堂であるのである。
まあ、大日堂だけに大日如来さんがおられると思うのであるが、あたしゃ興味がないので入ってみたことはないので定かではないのである。
まあ、いいや、どんどん次へ行ってみるのである。
そこから大日堂の横をどんどん行くと、脇道の水路もこの通りであるのである。
GRDⅢはてきとーにシャッターを押してこれであるから、天才霊能派写真家象師匠の腕の見せ所がないのである。
大日堂の回廊まわりであるのである。
まあ、これ以上行くと檀家さんのお墓であるので、ここで大団円であるのである。
日も陰ってきたので駐車場に戻るのである。
カラスが鳴いてないけど帰るのである。
日輪は裏のお山にそのお姿を隠さんとなされておられるのである。
GR D Ⅲはいーろいろ楽しめるのである。
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